サドの思想とは?|無神論・自然・自由・無感動、ルソー/バタイユとの違いを解説

Read in English

マルキ・ド・サドの思想は、しばしば「快楽を追求し、道徳を否定する思想」と説明される。しかし、それだけではサド作品が投げかける問題の半分も捉えられない。サドの著作で繰り返し問われるのは、神が存在しないなら善悪は何によって決まるのか、自然は本当に道徳の根拠になるのか、欲望を制限する理由はどこにあるのか、自由を限界まで押し進めたとき他者の自由はどうなるのか、といった問題である。

さらに奇妙なのは、サド作品が激しい欲望を描きながら、同時に「無感動」「冷淡さ」を重要な契機として持っていることである。実際、『ジュリエット』では作中のリベルタンたちが apathie を教説として語り、感情を鈍化させることが犯罪や快楽の徹底と結びつけられている。20世紀にはモーリス・ブランショが、この無感動を理性や否定の問題と結びつけてサド論の中心的主題へ発展させた[1]。

ただし、最初に一つ大きな注意が必要だ。サドは一冊の哲学書に自分の体系をまとめた哲学者ではない。彼の小説ではさまざまなリベルタンが自然、宗教、犯罪、自由について長大な演説をするが、作中人物の発言をそのまま歴史上のサド本人の信条とはできない。本記事では、サド本人の書簡や政治文書、作品に反復して現れる構造、作中人物の思想、そして後世の思想家によるサド解釈を区別して扱う。

なお、サドの簡単な概説「サドとは?」にまとめた。サドの文学については「サドの文学とは?」で詳細に解説した。


サドの思想とは?

サドの思想を一言でまとめるのは難しいが、中心にある問題を挙げることはできる。無神論、自然、欲望、自由、他者、法、道徳である。サド作品のリベルタンたちは、神や宗教が道徳を保証しているという考えを攻撃し、人間の欲望も破壊も自然の一部ではないのかと問い、法律や慣習が善悪を決める権利そのものを疑う。そして、その疑いを抽象的な議論だけで終わらせず、性、暴力、犯罪、支配という極端な場面まで押し進める。

ただし「サドはすべての犯罪を肯定した」「サドは無制限の自由を政治思想として主張した」と単純化することはできない。作品中の論証は人物ごとに異なり、ときには互いに矛盾する。歴史上のサド自身も革命期には政治活動を行い、制度や法律について文章を書いていた。したがって「サドの思想」とは、完成された教義というより、近代社会が当然視している神、自然、善悪、自由、法の根拠を極端な条件に置いて試す思考と捉える方が実態に近い。


サドは無神論者だったのか?

サドについて、本人資料から比較的強く確認できる思想的立場の一つが無神論である。1783年11月、獄中のサドは妻に宛てた書簡で、ドルバックの『自然の体系』を「自分の哲学の基礎」と呼ぶほど強い支持を示している。ドルバックは世界を超自然的な神によってではなく、物質と自然の因果関係によって理解しようとした18世紀フランス唯物論の重要人物であり、この書簡はサド本人の思想的背景を考えるうえで重要な資料である[2]。

サド作品にも、神、魂、摂理、来世を否定する長大な議論が頻繁に登場する。しかし、サド作品における無神論が興味深いのは「神など存在しない」と宣言するところではなく、その後である。もし神がいないなら、殺人が悪いのはなぜなのか。性欲を抑制すべきなのはなぜなのか。善悪は神の命令ではないとして、それでは何が善悪を決定するのか。サド作品は、神を取り除いたあとに残る道徳の根拠まで問い詰めていく。

その結果、作中のリベルタンたちはしばしば宗教だけでなく世俗的道徳まで攻撃する。しかし、ここでも「サド本人が作品中のすべての犯罪論を信奉した」と考えてはいけない。本人資料から確認できる無神論と、フィクション内部で展開される犯罪肯定の論理は、証拠の強さが異なる。


サドにとって「自然」とは何か?

サド作品で最も頻繁に現れ、同時に最も危険な言葉の一つが「自然(nature)」である。リベルタンたちは繰り返し自然を持ち出す。人間に欲望があるなら、その欲望も自然が生み出したものではないか。自然界では生成と破壊が絶えず繰り返されているのだから、人間だけが破壊を絶対悪と考える理由はあるのか。死によって物質が別の形へ移るなら、死を自然に反するものとして扱えるのか。こうした論証を通じて、社会や宗教が作った道徳を相対化しようとする。

しかし、ここから「サドにとって自然は善だった」と結論することはできない。サド作品の自然は、人間を善へ導いてくれる規範的な自然ではない。生成する自然であると同時に、破壊し、消費し、死なせる自然でもある。つまりサド作品は「自然に従えば善く生きられる」と主張するよりも、そもそも自然そのものに人間的な善悪が存在するのかと問い返す。

この自然観は作品や話者によって揺れるため、統一的な「サド自然哲学」として固定するべきではない。実際、Michel Brixが指摘するように、サド作品では登場人物がその都度「自然」を利用して相矛盾する行為まで正当化しており、そこから一つの整合的な哲学体系を復元することには慎重さが必要である[2]。それでも、「自然」という言葉が道徳そのものを不安定にするため繰り返し用いられることは、サド作品を横断する重要な特徴である。


サドにおける「無感動」とは?:なぜ激情より冷淡さが重要なのか

サドと聞けば、普通は激しい性欲、激情、残酷な興奮を思い浮かべる。しかしサド原典には、それとは反対方向を向く無感動(apathie)の教説も明示的に存在する。『ジュリエット』では、感情を鈍化させ、他者の不幸に動かされなくなることが、リベルタンとして行為を徹底するための条件として語られる[1]。

ここで重要なのは、欲望が激しいことと感情的であることは同じではない、という逆説である。怒り、嫉妬、愛情、憐れみ、罪悪感などに支配されている限り、行為は特定の人間や状況に結びついた一回的な出来事になりやすい。ところが、そうした感情を冷却し、他者の苦痛への反応まで鈍化させれば、行為を個人的な激情から切り離して反復することが可能になる。

20世紀のモーリス・ブランショは、この原典にある無感動の教説を理性・否定の問題と結びつけ、サド思想の重要な主題として読み直した。1949年の『ロートレアモンとサド』では、サドの「理性」と否定の力が重要な位置を占める[1]。

この特徴はサドの文学形式にも対応している。性行為や犯罪は反復され、分類され、数量化され、規則や序列の中に配置される。身体も一人の固有な人間というより、部位や機能の組合せへ還元されていく。ロラン・バルト、マルセル・エナフ、リュシエンヌ・フラピエ=マジュールらも、それぞれ異なる方法からサド文学の分類、組合せ、身体の交換可能性、制度化された形式を論じてきた[3]。

したがって、apathie はブランショが創案した概念ではない。サド原典では作中リベルタンが説く教説として存在し、ブランショがそれを理性や否定と結びつけて20世紀思想の問題として主題化した、と区別するのが正確である。また、これをそのまま歴史上のサド本人が体系化した哲学概念とみなすことも避ける必要がある。


サドは欲望をどこまで自由にすべきだと考えたのか?

サド作品では、欲望を制限するものが次々と疑われる。宗教はなぜこの欲望を罪と呼ぶのか。法律はなぜこの行為を禁止するのか。慣習はなぜある身体の使い方を正常とし、別の使い方を異常とするのか。こうして作中のリベルタンは、外部から課される制約を取り除きながら欲望を拡張していく。

しかし、サドを「欲望は何でも自由に満たせばよいと唱えた思想家」と説明するのは不正確である。まず、その主張の多くは架空のリベルタンによるものである。さらにサド作品の構造として見ると、欲望は一度の満足によって停止せず、反復、変奏、分類、さらなる行為へと組織されていく。『ソドム百二十日』や『ジュリエット』で顕著な列挙・数量化・エスカレーションは、欲望を一回の感情ではなく反復可能なシステムへ変換する[3]。

その意味でサド作品の極端さは、欲望が強いことだけではない。欲望を邪魔する感情的・道徳的制限まで切断し、欲望そのものを反復可能な運動へ変えていくところにある。


サドの自由は、なぜ他者の自由と衝突するのか?

サドを自由の思想家として読む場合、最も重要なのは「自分が自由になること」だけではない。自分の自由の前に他者が現れたとき、何が起こるのかという問題である。

サド作品のリベルタンは、宗教、法、慣習、憐れみといった制約を拒絶し、自らの欲望を徹底しようとする。しかし欲望が他者の身体を必要とした瞬間、一人の自由は別の人間の自由と衝突する。リベルタンの自由はしばしば他者の身体、意志、自由、生命を材料として成立する。

20世紀にシモーヌ・ド・ボーヴォワールがサドを重要視した理由の一つもここにある。1951~52年に発表され、1955年の『Privilèges』に収録された「サドを焼くべきか?」で、ボーヴォワールはサドを単なる「悪人」や性的症例としてではなく、自由、身体、他者との関係を露呈させる作家として読んだ。サド的主体は自己の自由を徹底する一方で、他者の自由との相互性に失敗する。この意味でサド作品は、自由を称賛するだけでなく、自由を無制限に考えたときに発生する矛盾を露呈させる[4]。

もちろん、これは「サド本人が他者論としてこの問題を体系化した」という意味ではない。作品構造から読み取られ、後世の思想家によって明確化された問題である。


サドとルソーは何が違うのか?:自然・憐れみ・自由

サドとジャン=ジャック・ルソーの比較は、サドの思想を18世紀の文脈に戻して理解するうえで非常に面白い。二人は無関係ではない。1769年のLa Costeの蔵書目録などサド周辺の蔵書にはルソー作品が含まれ、獄中のサドが『告白』や『ピグマリオン』を求めたことも研究で指摘されている。Michel Delonは二人を frères ennemis、すなわち「敵対する兄弟」と表現した。Philippe Rogerはサドがルソーに対抗し、その思想を歪曲・転倒すると論じている[5]。

一方、Mladen Kozulは、サドとルソーを「鋭く対立するもの」と見るか「本質的に両立可能なもの」と見るか、という二分法そのものから距離を取り、サドがルソーを含む同時代のテクストや言説を再利用・再構成するインターテクストとして分析している[5]。

両者の違いが特に分かりやすいのが「自然」である。ルソー『人間不平等起源論』では、自然状態の人間には自己保存に関わる amour de soi と、他者の苦痛に対する自然的反発である pitié がある。これは「原始人は道徳的な聖人だった」という意味ではない。社会的比較、所有、名誉欲、amour-propre がまだ十分形成されていないため、社会的人間に見られるような悪意や競争もまだ発達していないということである[6]。

サド作品では「自然」はかなり異なる方向へ使われる。リベルタンは自然を欲望、生成、破壊、死まで含む運動として語り、それを既成道徳への反論に用いる。したがって「ルソーは自然=善、サドは自然=悪」とまとめるのは雑すぎる。むしろ、ルソーが自然的人間に他者の苦痛への反発である pitié を認めるのに対し、サド作品のリベルタンは、その感情的なブレーキを取り外そうとするところに大きな差がある。

自由についても同様である。ルソー『社会契約論』が問題にしたのは、他者と政治共同体を形成しながらなお自由でいられる条件だった[6]。これに対しサド作品では、個人の欲望から制限を除いていくほど、他者の自由との衝突が激しくなる。ルソーが「共に自由であること」の形式を探したとすれば、サド作品は「一人の自由を極端まで拡張すると、他者はどうなるのか」という反対側の極限を見せる。この対比は、サド本人が明示した命題というより、本記事および研究史を踏まえた比較読解である。


『エミール』と『閨房哲学』:正反対の教育

ルソーとサドは「教育」という観点からも比較できる。ルソー『エミール』は1762年、サド『閨房哲学』は1795年に刊行されており、33年の隔たりがある。サドが『エミール』への直接的な反論として『閨房哲学』を書いたという証拠は確認されていないため、両作品を直接の応答関係に置くことはできない[7]。

それでも、両作は「若者はどのように形成されるのか」という共通の問いを持つ。『エミール』では、子どもが成人社会の偏見に早くから染まらないよう環境を管理しながら、自律へ導いていく。『閨房哲学』では、15歳のウジェニーが性、無神論、宗教批判、道徳批判を次々と教え込まれ、リベルタン的な価値体系へ導かれていく[7]。

一方は既成社会から距離を置くことによって主体を形成しようとし、もう一方は既成の道徳を積極的に解体することで主体を作ろうとする。その意味では『閨房哲学』を『エミール』とは反対方向の「教育実験」として比較することができる。ただしこれは直接影響の主張ではなく、二つの作品を並べた比較読解である。


サドは法律や社会を否定したのか?

サドを「すべての法律に反対した無政府主義者」と理解するのも正確ではない。歴史上のサドはフランス革命期、パリのSection des Piquesで書記や一時的な議長を務め、政治文書を残している。国民公会や立法議会の議員だったわけではなく、またその政治的位置も生涯を通して一つのラベルに固定できるものではない。

1792年にはSection des Piquesで『Idée sur le mode de la sanction des loix』を発表しており、BnFの書誌ではサドが著者として記録され、1792年11月2日に同Sectionの集会で提示された文書であることが確認できる[8]。1793年にもSection des Piques関係文書へのサドの関与が確認できるが、同年9月のMarat/Le Peletier追悼演説とは別文書も存在するため、それぞれを区別する必要がある。

一方、作品の中では法律、刑罰、宗教的規範が激しく批判される。『閨房哲学』第五対話に挿入された「フランス人よ、共和主義者たらんと欲するなら、もう一努力を」には、宗教、法律、国家による処罰をめぐる急進的な議論が展開される。ただし、この文章はフィクション内部に置かれた政治文書でもあるため、そのすべてを歴史上のサド本人の政治綱領とみなすことはできない。

サド作品で重要なのは、「法律が存在する」ことと「その法律が正しい」ことを同一視しない点である。法律も宗教も道徳も、人間が作り運用する以上、欲望や権力から完全に自由ではない。それならば、法はいったい何を根拠に正義を名乗れるのか。サド作品は完成した代替制度を提示するよりも、法が自らを正義と呼ぶ根拠を執拗に疑う。


サドとバタイユは何が違うのか?:禁忌と侵犯

ジョルジュ・バタイユは20世紀にサドを読み直した代表的思想家の一人である。バタイユはサドを、禁忌、侵犯、エロティシズム、死、暴力、過剰、主権を考えるための極端な試金石として用いた。1957年の『エロティシズム』では第二部に「サドの主権的人間」「サドと正常な人間」という独立したサド論が置かれている[9]。

しかし、バタイユはサド思想をそのまま継承したわけではない。特に大きな違いが「禁忌」の扱いである。サド作品のリベルタンは「なぜそれは禁止されているのか」と問い、宗教、法律、慣習が禁止するという事実だけでは行為を悪とする根拠にならないと攻撃する。禁止そのものの正当性を崩そうとするのである。

バタイユの侵犯(transgression)は少し違う。侵犯は禁忌を完全に消滅させることではない。禁忌が存在するからこそ、それを越える行為が「侵犯」として成立する。したがって非常に圧縮して言えば、サド作品が「なぜ禁止されなければならないのか」と問うのに対して、バタイユは「禁止があるからこそ、それを越える経験が成立する」と考える。ただしこれは比較を分かりやすくするための要約であり、両者の全思想を一文に還元するものではない。

「主権」にも注意が必要である。バタイユの主権とは通常の政治的な主権ではなく、有用性、労働、保存、将来の利益への従属から外れる経験に関わる概念である。バタイユはサドを「主権的人間」の像として読むが、サド本人がバタイユ的な主権論を唱えたわけではない。サドはバタイユにとって、自らの侵犯や主権を考えるための材料でもあったのである。


サドは啓蒙思想の敵だったのか?

サドが神、道徳、法律を攻撃する姿を見ると、啓蒙思想そのものを破壊した人物のようにも見える。しかしサドが使用する自然、理性、自由、無神論、宗教批判という語彙自体が、18世紀啓蒙思想の問題圏に属している。サド本人がドルバック『自然の体系』を自らの哲学の基礎と呼んだことも、この背景を示す重要な本人資料である[2]。

そのため20世紀以降には、サドを啓蒙の外部に置くのではなく、啓蒙の論理を極端な地点まで押し進めることで、その内部矛盾を露出させた存在として読む系譜が生まれた。ホルクハイマーとアドルノは『啓蒙の弁証法』で『ジュリエット』を啓蒙的理性の問題と結びつけ、Delon、Roger、Kozulもそれぞれ異なる角度からサドと18世紀思想との関係を論じている[10]。

一方で、この見方を唯一の結論とすることもできない。Michel Brixはむしろ、サド作品における哲学者たちの言説を継承ではなく批判や戯画化として読む立場を提示している[10]。したがって「サドは啓蒙思想の完成者である」「サドは啓蒙思想の必然的結論である」と断言するのは避けるべきである。より慎重には、サドを、啓蒙が生み出した自然・理性・自由・宗教批判という語彙を受け取り、それを対抗的・転倒的に組み替えた作家として読む研究系譜があるとするのが妥当である。


よくある質問

Q. なぜサドは性行為にこれほど固執したのですか?

単にサド本人が「性行為が好きだったから」と伝記的に説明することはできない。作品の中で性行為は、快楽だけでなく、身体、宗教、道徳、法律、身分、支配、他者との関係を同時に試すことのできる場として機能している。サド作品では性行為の途中に哲学的演説が挿入され、行為と論証が交互に繰り返される。身体も分類・組合せ・数量化の対象になる。つまり性はサド文学において、思想を身体の上で実験する装置にもなっている[3]。

だからといって、すべての性描写を哲学的寓意へ還元する必要もない。猥褻性や刺激そのものも作品の一部である。ただ、「なぜこれほど性が反復されるのか」を作品構造から見るなら、性は社会が身体に課している規則を最も露骨に露出させる場所の一つだと言える。

Q. サドは快楽至上主義者だったのですか?

作中のリベルタンたちが快楽を極端に重視することは確かだが、サドを単純な「快楽至上主義者」と呼ぶと重要な部分が抜け落ちる。サド作品では快楽だけでなく、無感動、理性、反復、分類、支配、否定が重要である。しかも apathie は後世の研究者が外から付け加えただけの概念ではなく、『ジュリエット』などで作中のリベルタン自身が説いている[1]。

その意味では、サド作品は「気持ちよければ何でもよい」という単純な快楽主義より奇妙である。快楽を徹底しようとする主体が、同時に憐れみや愛着を冷却しようとする。快楽への執着と無感動が同居するところに、サド独特の逆説がある。

Q. サドは利己主義者だったのですか?

サド作品のリベルタンには、非常に強い利己的傾向がある。他者の身体や苦痛より自分の欲望を優先し、他者を欲望の手段として扱う人物も多い。しかし、そこから歴史上のサド本人を単純に「利己主義という哲学を唱えた思想家」と分類することはできない。

思想的に重要なのは、むしろ利己性を徹底した結果として何が起こるかである。自分の自由だけを最大化すると、他者の自由と衝突する。相手を主体として認めず、欲望の材料として扱えば、自由は支配へ変わる。ボーヴォワールがサドを自由と他者の問題として読んだのも、この矛盾があるためである[4]。

Q. サドは道徳に反発していただけですか? なぜ道徳を批判したのですか?

単なる「反抗心」だけで説明するのは不十分である。サド作品が繰り返し問題にするのは、そもそも道徳は何を根拠に正しいとされているのかという問いである。神が善悪を決めるという説明を無神論によって退けたあと、宗教の代わりに「自然」を持ち出せば十分なのか。法律が禁じているから悪いのか。社会の多数が嫌悪するから悪いのか。サド作品はこうした根拠を次々と疑う。

したがって、サドの道徳批判を「悪いことがしたかったから」と説明すると本質を逃す。作中人物の極端な論証は、既成道徳を壊すだけでなく、道徳を壊したあと人間が何を根拠に他者への行為を制限できるのかという問題まで露出させる。その結果が必ずしもサド自身による肯定的な倫理体系へ結びつかないところも、サド思想の不穏さである。

Q. サドの思想と現代のサディズム/BDSMは同じですか?

同じではない。少なくとも、歴史上の人物サド、19世紀以降に成立した性科学・精神医学上の「サディズム」、日常語の「サディスト」、現代の合意にもとづくBDSMは分けて考える必要がある。フランス語の sadisme はサドの名から形成され、19世紀には他者の苦痛と快楽を結びつける概念として辞書・性科学・精神医学の語彙へ組み込まれていった[11]。

さらに、現代の合意にもとづくBDSMをサド作品の暴力や非合意的支配とそのまま同一視することもできない。DSM-5は非典型的な性的関心それ自体と精神疾患としてのパラフィリア症を区別している。またWHOのICD-11では、6D33「Coercive sexual sadism disorder」と、同意する成人を対象とする行動を含みうる6D36が別カテゴリーとして置かれている[11]。

したがって「サド」「サディズム」「BDSM」は歴史的につながってはいるが、同じ概念ではない。


まとめ:サドの思想は「悪の肯定」だけではない

サドの思想を「悪いことをしてもよいという思想」とまとめれば簡単である。しかし、それだけではサドが200年以上にわたって思想家や文学者に読み続けられてきた理由を説明できない。サド作品が執拗に問うのは、神がいなければ善悪はどこから来るのか、自然はなぜ道徳の根拠になるのか、欲望を抑制する理由は何なのか、自由にはなぜ限界が必要なのか、法律は本当に正義なのか、そして自分の自由の前に他者が現れたとき何が起きるのか、という問題である。

本人資料から比較的強く確認できるのは、無神論とドルバック的唯物論への接近である。一方、殺人、暴力、無制限の欲望を正当化する極端な議論の多くは、フィクション内部のリベルタンによって語られる。また、原典でリベルタンが説く apathie をブランショが理性・否定の問題として主題化し、ボーヴォワールが自由と他者、バタイユが禁忌・侵犯・主権という観点からサドを読み直したように、今日「サドの思想」として論じられる問題には、サド原典と20世紀以降の再解釈の双方が重なっている。

ルソーと比較すれば、自然、憐れみ、自由、教育という同じ18世紀的問題が異なる方向へ展開していくことが見える。バタイユと比較すれば、禁止そのものの正当性を攻撃するサド作品の論理と、禁忌を前提として侵犯を考える20世紀の思想との差も見えてくる。サドが現在まで不穏なのは、単純に「悪を肯定した」からではない。善、自然、自由、法、そして他者を尊重すべき理由まで、私たちが当然だと思っている根拠を最後まで疑わせるからである。


この記事の調査について

本記事では、歴史上のサド本人、サド作品の作中人物、作品構造から導かれる比較読解、20世紀以降の思想家によるサド解釈を区別した。サド本人の思想については書簡・政治文書などの本人資料を優先し、作中リベルタンの演説をそのまま作者自身の信条とはみなしていない。

ルソーとの比較ではMichel Delon、Philippe Roger、Mladen Kozulらの研究を参照し、Rogerの「対抗・歪曲」を強調する読解と、Kozulの「対立/両立」という二分法を避けるインターテクスト的読解を区別した。無感動についてはサド原典の apathie 教説とMaurice Blanchotによる20世紀的主題化を分離し、自由と他者についてはSimone de Beauvoir、禁忌・侵犯・主権についてはGeorges Batailleによるサド読解として扱っている。


注

  1. apathie はサド原典、とくに『ジュリエット』で作中リベルタンが説く教説として確認できる。たとえば1797年版『ジュリエット』には、感情を鈍化させることと犯罪・快楽の徹底を結びつける議論がある。『ジュリエット』1797年版該当頁。Maurice Blanchot, Lautréamont et Sade, 1949は、この無感動を理性・否定と結びつけて主題化した。Éditions de Minuit公式ページ。
  2. Sade, 1783年11月妻宛書簡。Œuvres complètes, Cercle du livre précieux, 1967, t. XII, p.416。Michel Brixはこの書簡を引用し、サドがドルバック『自然の体系』を「自分の哲学の基礎」と呼んだことを確認している。Michel Brix, “Sade est-il un philosophe des Lumières ?”, Trans/Form/Ação, vol.30, no.2, 2007, pp.11–22. SciELO全文。
  3. サド文学における反復、分類、身体、制度については、Roland Barthes, Sade, Fourier, Loyola;Marcel Hénaff, Sade: The Invention of the Libertine Body;Lucienne Frappier-Mazur, Writing the Orgy: Power and Parody in Sade 等を参照。Hénaff:University of Minnesota Press/Frappier-Mazur:DOI。
  4. Simone de Beauvoir, “Faut-il brûler Sade?”, 1951–1952。1955年に Privilèges に収録。BnF/CCFr書誌。
  5. Michel Delon, “Sade face à Rousseau”, Europe, October 1972, pp.42–48;Philippe Roger, “Rousseau selon Sade, ou Jean-Jacques travesti”, Dix-huitième siècle, no.23, 1991, pp.383–405;Mladen Kozul, “Lire Sade avec Rousseau”, Romance Studies, vol.32, no.3, 2014, pp.171–182。Delonの frères ennemis はRoger論文注2でも確認できる。Roger:Persée全文/Kozul:University of Montana書誌・要旨・DOI。
  6. Jean-Jacques Rousseau, Discours sur l’origine et les fondements de l’inégalité parmi les hommes, 1755. Wikisource原文。『社会契約論』についてはWikisource原文を参照。
  7. Jean-Jacques Rousseau, Émile, ou De l’éducation, 1762;D. A. F. de Sade, La Philosophie dans le boudoir, 1795。『エミール』原文/『閨房哲学』原典テキスト。両作品の直接応答関係は本調査では確認されていない。
  8. D. A. F. de Sade, Idée sur le mode de la sanction des loix, 1792。BnFはサドを著者として記録し、「1792年11月2日に集会で提示」と注記している。BnF書誌。1793年7月19日のSection des Piques関係文書にもサドの名が確認できるが、9月29日のMarat/Le Peletier追悼演説とは別文書である。BnF書誌。
  9. Georges Bataille, L’Érotisme, Éditions de Minuit, 1957。出版社公式目次には第二部「L’homme souverain de Sade」「Sade et l’homme normal」が収録されている。Éditions de Minuit公式ページ。Bataille, La Littérature et le mal も1957年刊でサド論を含む。
  10. Max Horkheimer and Theodor W. Adorno, Dialektik der Aufklärung。草稿版 Philosophische Fragmente は1944年、改訂版は1947年刊。啓蒙的理性とサド/ジュリエットを結びつける古典的読解の一つである。Stanford Encyclopedia of Philosophy:Adorno。一方、Michel Brixはサド作品における啓蒙思想家の言説を批判・戯画化として読む異なる立場を提示している。Brix全文。
  11. sadisme の語史についてはCNRTL / TLFi「sadisme」を参照。現代の分類では、American Psychiatric Associationは非典型的性的関心と「パラフィリア症」を区別している。APA「Paraphilic Disorders」。WHOのICD-11 CDDRでは6D33 “Coercive sexual sadism disorder”と6D36 “Paraphilic disorder involving solitary behaviour or consenting individuals”が別カテゴリーとして置かれている。WHO, Clinical descriptions and diagnostic requirements for ICD-11 mental, behavioural and neurodevelopmental disorders, 2024。

参考資料・主要出典

サド一次資料・18世紀資料

サドとルソー

20世紀以降のサド論

サディズム・現代の臨床的区別


※本記事はATTESTED記事です。事実記述は実在し確認可能な資料に基づき、第三者の見解、筆者による推論・解釈・評価を含む場合には、それらを確認済みの事実と混同しない形で記載しています。現実の事実として提示される意図的な虚構や捏造は含みません。

visceraをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む