『ドグラ・マグラ』読解|読んだけれどよくわからなかった人のためのガイド

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『ドグラ・マグラ』を最後まで読んだのに、結局何が起きていたのかよく分からなかった。登場人物が途中から混ざった。「胎児の夢」や長大な作中文書を読んでいるうちに、そもそも現在の物語がどこへ行ったのか分からなくなった――本記事は、そんな人のための読解ガイドである。

『ドグラ・マグラ』は、すべてが理解不能な小説ではない。現在の出来事、登場人物の説明、作中文書、過去の事件をいったん分ければ、かなりの部分まで整理できる。問題は、それらを整理したあとにも、互いに食い違う説明や、一つに決められない人物関係が残ることにある。

そこで本記事では、最初から「真犯人は誰か」「主人公の正体は何か」といった答えを決めない。まず作品全体を分解し、人物、作中文書、二つの過去事件、〈私〉が情報を知る順番、時系列を整理する。『ドグラ・マグラ』を解く前に、まず迷宮の地図を作る。それがこの記事の目的である。

※以下、物語の結末まで触れる。未読の場合は、先に「『ドグラ・マグラ』とは?」を参照してほしい。作品本文は青空文庫でも全文を読むことができる[1]。また、真相の考察については「『ドグラ・マグラ』考察」に、作者の生涯については「夢野久作とは?」に詳しくまとめた。

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まず『ドグラ・マグラ』全体を4つに分ける

『ドグラ・マグラ』を読み終えて「何を読んでいたのか分からない」と感じたなら、まず細かい事件や人物関係を忘れて、作品全体を四つに分けると見通しがよくなる。

区分何が起こるか
第一部〈私〉が七号室で目覚め、若林博士から説明を受ける
第二部〈私〉が大量の作中文書を読む
第三部死んだはずの正木博士が現れ、別の説明を始める
第四部〈私〉が市街をさまよい、号外を読み、自分なりの真相を考える

第一部|〈私〉が目覚め、若林博士から説明を受ける

物語は、記憶を完全に失った〈私〉が精神病院の七号室で目覚めるところから始まる。隣の六号室からは〈私〉を「お兄さま」と呼ぶ少女の声が聞こえ、やがて若林鏡太郎博士が現れる。若林は、ここが九州帝国大学の精神病科であること、正木敬之という博士がいたこと、〈私〉の記憶回復が重要な問題になっていることなどを説明する。

散髪、入浴、少女との対面を経て、〈私〉は若林と教授室へ向かう。そこでは斎藤寿八博士の肖像写真、標本、新聞記事、原稿など、〈私〉の過去を刺激するための大量の資料が待っている。このあたりまでは「記憶喪失の主人公が、医師から自分の過去を教えられていく」という比較的普通の小説として読むことができる。

ただし教授室では早くも、若い患者が書いたという作中原稿『ドグラ・マグラ』が紹介される。そこには二人の博士、若い患者、精神病院、奇怪な文書、そして冒頭と末尾に同じ時計音を置く構成まで説明されている。物語が本格的に迷宮化する前から、その予告は始まっている。

第二部|物語が大量の作中文書に変わる

若林が〈私〉へ資料を読ませ始めると、『ドグラ・マグラ』は突然別の本のようになる。「キチガイ地獄外道祭文――一名、狂人の暗黒時代」「地球表面は狂人の一大解放治療場」「絶対探偵小説 脳髄は物を考える処に非ず」「胎児の夢」「空前絶後の遺言書」といった文書が長く続く。

さらに「空前絶後の遺言書」の中には、活動写真のように記述された場面、正木と若林の会話、呉一郎をめぐる事件資料、人物の談話、新聞記事、寺の縁起、精神鑑定などが入っている。読者が「いま現在の〈私〉はどうなったんだ?」と感じるのは当然だが、物語が消えたわけではない。現在の〈私〉が教授室でこれらの文書を読んでいる、という状態が第二部の土台になっている。

第三部|死んだはずの正木博士が現れる

長大な文書を読み終えたところで、物語は突然現在へ戻る。しかも現れるのは、若林によればすでに死亡しているはずの正木敬之である。

正木は現在を10月20日だと語る。ところが若林は、それ以前に現在を11月20日だと説明している。さらに正木は、窓外に〈私〉と酷似した青年を見せ、「離魂病」などの奇怪な説明を行ったかと思えば、それを「みんな嘘」と撤回する。その後も絵巻物、心理遺伝、一郎の出生、過去の事件、WとMという二人物を用いた再構成など、若林とは違う説明を大量に提示する。

ここで重要なのは、第二部の長大な文書が「正解」で、第三部の正木が「本当の答え」を教えてくれるわけではないことである。正木自身も仮説や推定を重ね、自分の説明を撤回する人物だからだ。

第四部|号外と〈私〉自身の推理

正木が去ったあと、〈私〉は大学を飛び出し、市街をさまよう。やがて教授室へ戻ると、それまで新しかったはずの資料やインクが、不自然なほど古び、埃や黴に覆われている。さらに西海新聞の号外を発見し、そこに正木博士が投身自殺し、溺死体として発見されたという記事を見つける。その後にはMからW兄へ宛てた葉書も現れる。

ここまで大量の情報を与えられた〈私〉は、最後にようやく自分自身で「何が起きたのか」を考え始める。自分は呉一郎なのか、正木が犯人なのか、若林が実験を続けているのか、一か月前の出来事をもう一度経験しているのか、そもそも今日一日が「胎児の夢」なのではないか。しかし、これらはあくまで〈私〉自身の推理である。

そして七号室へ戻った〈私〉の意識は再び混乱し、物語は冒頭とよく似た時計の唸りへ帰っていく。ここまでが『ドグラ・マグラ』の大きな骨格である。


登場人物を整理する――まず5人だけ覚えればいい

『ドグラ・マグラ』には多くの人物が登場するが、最初から家系図をすべて暗記する必要はない。まず次の五人を分ければよい。

人物読むときの役割
〈私〉現在を経験する主人公・語り手
若林鏡太郎最初に〈私〉へ状況を説明する案内人
正木敬之後半で現れ、若林とは違う説明を行う第二の案内人
呉一郎過去の事件の中心人物。〈私〉との同一性が問題になる
六号室の少女/モヨ子〈私〉を「お兄さま」と呼び、過去の事件と現在を結ぶ人物

〈私〉

七号室で目覚める第一人称の語り手であり、名前、家族、生まれた場所、過去の人生を何も思い出せない。読者も〈私〉と同じ状態から物語を始め、少女、若林、正木、作中文書など、外部から与えられる情報によって少しずつ「この人物は呉一郎なのではないか」と考えるようになる。最初から〈私〉=呉一郎と書き換えて読んでしまうと、本作の重要な仕掛けを一つ潰してしまう。〈私〉の同一性そのものは研究上も論点になっている。[2]

若林鏡太郎

若林は前半の案内役である。〈私〉へ病院、正木、記憶実験、少女、呉一郎をめぐる事件などを説明し、教授室では資料を順番に提示する。そのため初読では、若林を「事情を知っている医者」「真相を説明してくれる人」として読んでしまいやすい。だが、若林の発言も、あくまで若林による説明である。若林がそう言ったことと、それが作品世界の客観的真実であることは別である。

正木敬之

正木は後半の案内役だが、自分自身が過去の事件、研究、実験へ深く関与している。非常に多くのことを説明するため、読者はつい「ようやく作者が正木を使って真相を説明してくれた」と考えたくなる。しかし正木は、自分が直前に語った奇怪な説明を「みんな嘘」と撤回し、W・Mによる事件再構成でも推定や可能性を重ねる。重要な情報源ではあるが、正木=作品の答えではない。

呉一郎

呉一郎は過去の事件の中心にいる青年である。母親、許嫁、奇怪な絵巻物、精神鑑定、心理遺伝など、多くの資料が一郎を中心に集まっている。また六号室の少女、若林、正木、新聞記事など、複数の情報が現在の〈私〉を一郎へ結びつける。そのため〈私〉=呉一郎という読みは非常に強い。ただし本作では、「誰かがそう呼んだ」「そう説明した」ことと、現在の〈私〉の身体的同一性が独立して証明されたことを区別する必要がある。〈私〉と呉一郎は、最後までいったん別項目として持っておく方が読みやすい。

六号室の少女/モヨ子

物語冒頭から〈私〉を「お兄さま」と呼ぶ少女で、自分を〈私〉の妹や許嫁として語り、後にはモヨ子と名乗る。正木も六号室の少女を呉モヨ子に結びつけるため、六号室の少女=モヨ子という読みはかなり強く支持される。ただし本作には、過去の二少女の身体をめぐる奇怪な記録や、号外に登場する別名の少女などもあり、身体の連続性まで単純に一本化できるわけではない。初読では、現在の六号室の少女はモヨ子として扱われている、くらいで止めておけば十分である。


作中文書の地図――「いま何を読んでいるのか」を整理する

『ドグラ・マグラ』で最も読者を混乱させるのが作中文書である。ポイントは文章の内容を全部覚えることではなく、いま読んでいる文章がどの階層にあるのかを確認することにある。大まかには、小説『ドグラ・マグラ』の中に〈私〉の現在があり、その現在の中で若林が資料を示し、さらに「空前絶後の遺言書」の内部へ事件記録や証言、新聞記事などが入っていくという入れ子構造になっている。作品構成を「体験」と「認識」の関係から論じた研究もある[3]。

文書読解上の役割
作中原稿『ドグラ・マグラ』現在の物語と不気味に似た構造を持つ原稿
キチガイ地獄外道祭文精神病院・社会への攻撃と解放治療構想
地球表面は狂人の一大解放治療場正木の思想・研究へ入るための談話
脳髄は物を考える処に非ず脳、身体、精神をめぐる理論
胎児の夢進化、細胞記憶、祖先の経験をめぐる理論
空前絶後の遺言書正木の実験と呉一郎事件を大量の資料とともに提示する
西海新聞号外終盤で正木の死や事件について別の記録を提示する
MからW兄への葉書正木・若林らの関係を考える材料になる

「文書に書いてある=事実」ではない

『ドグラ・マグラ』を読むときの最大のルールは、作中文書に書いてあることと、作品世界で実際に起きたことを同一視しないことである。

たとえば、ある文書が「呉一郎は夢遊状態で事件を起こした」と説明していたとしても、本文から確実に言えるのは、その文書にそういう説明が記載されているというところまでである。後になって別の人物が「あの説明は嘘だった」と言うかもしれないが、今度は後から現れた人物の説明こそ真実だと自動的に決めることもできない。

つまり『ドグラ・マグラ』では、「何が書かれているか」だけでなく、「誰が、どの文書で、どの立場からそう言っているのか」を見る必要がある。

作中原稿『ドグラ・マグラ』は、読者が読んでいる本そのものなのか

教授室で若林は、若い患者が書いたという原稿『ドグラ・マグラ』を〈私〉へ示す。その原稿には、正木と若林を思わせる二人の博士、若い患者、精神病院、祭文、脳髄論、胎児論、遺言書、事件資料などが含まれていると説明され、さらに冒頭と末尾に同じ時計の音を置く構想まで語られる。

これは読者が実際に読んでいる『ドグラ・マグラ』と驚くほどよく似ているため、作中の原稿『ドグラ・マグラ』=いま読者が読んでいる『ドグラ・マグラ』と考えたくなる。しかし本文では、両者が完全に同じ文書だとは明言されない。ここでも、強く対応することと、完全に同一であることは分けた方がよい。


呉一郎をめぐる二つの過去事件を整理する

作中文書の中では、呉一郎をめぐる過去の出来事が大量に語られる。細部をすべて追うと混乱するので、まず大きく二つの事件に分ける。

第一の事件|一郎の母・千世子をめぐる事件

大正13年ごろに起きたとされる事件で、呉一郎の母・千世子が死亡し、その前後の一郎の行動が問題になる。この事件について読者へ与えられる情報は一種類ではなく、一郎自身の談話、W氏による聴取・調査、正木による観察、後の正木によるW・Mを用いた再構成などが存在する。

ある資料では一郎の行動は夢遊や心理遺伝によって説明される一方、別の説明では麻酔や第三者の関与が疑われる。さらに後半の正木は、WとMという人物を使って事件を再構成する。そのため「第一事件では実際にこういうことが起きた」と一文でまとめるより、同じ事件について複数の説明が存在すると理解した方が正確である。

第二の事件|モヨ子をめぐる事件

大正15年4月、一郎とモヨ子の婚礼をめぐって起きる事件である。モヨ子への襲撃、二人の少女、解剖室での処置、身体の入れ替えや蘇生を思わせる記述などが関係する。

このあたりは『ドグラ・マグラ』でも特に複雑だが、読者が事件を直接目撃するわけではないことを忘れない方がいい。事件について知る大部分の情報は、正木の遺言書、その内部の談話、戸倉の説明、医学的記録などを通して与えられる。ここでも、事件そのものと、事件について誰かが書いたものを区別する必要がある。

一般的なミステリなら、複数の証言を整理した最後に「本当はこういう事件だった」という一枚の図を作れる。しかし『ドグラ・マグラ』でそれをするには、どの説明を信用し、どの説明を捨てるかを読者側で決めなければならない。そのため本記事ではここで犯人を決めず、二つの過去事件の存在と、そこに複数の説明が重なっていることまでを押さえる。犯人、WとM、正木と若林の関与については「『ドグラ・マグラ』の真相とは?」で改めて検討する。


〈私〉は何を、どの順番で知らされたのか

過去に事件が起きた順番と、〈私〉が事件について知る順番はまったく違う。『ドグラ・マグラ』が混乱しやすい大きな理由の一つである。

順番〈私〉が知ること
1自分には記憶がない
2六号室の少女が自分を「お兄さま」と呼ぶ
3若林博士が現れる
4正木博士という人物がいたことを知る
5若林から正木は死亡したと説明される
6自分と関係するらしい呉一郎という青年について知る
7作中原稿『ドグラ・マグラ』を見る
8正木の研究や思想をめぐる大量の文書を読む
9呉一郎をめぐる二つの過去事件を知る
10死んだはずの正木が目の前に現れる
11正木から若林とは異なる説明を聞く
12正木自身が一部の説明を「嘘」と撤回する
13正木からW・Mなどを使った別の事件再構成を聞く
14教授室へ戻ると資料が異常に古びている
15正木の死を伝える号外を読む
16MからW兄への葉書を読む
17〈私〉自身が全体の真相を推理し始める

この順番を見ると、〈私〉がなぜ混乱しているのか分かる。〈私〉は自分自身についての記憶を持っておらず、その空白へ、少女の話、若林の話、作中文書、正木の話、新聞記事、葉書という順番で外部情報を注ぎ込まれている。しかも、それらは完全には一致しない。

つまり〈私〉の「自分は誰なのか」という認識は、自分自身の記憶によって回復していくというより、他人の言葉と文書によって外側から作られていく。この点を理解すると、主人公の正体がなぜ最後まで問題になるのかも見えやすくなる。

正木の説明を特別扱いしない

とくに注意したいのが正木である。正木は大量の事情を知っているように見えるし、事件へ直接関与しているような発言もするため、登場後の説明を「後半で明かされた真相」として整理したくなる。

しかし正木は、窓外の酷似青年について、同じ女から同時刻に生まれた、双生児以上に密接な関係である、〈私〉は離魂病に罹っている、窓外の像は〈私〉の記憶が見せる夢である、といった説明を重ねたあと、それらを利用した「頭の試験」であり「みんな嘘」だったと語る。さらにWとMを使った説明でも、単純な事実説明ではなく可能性や推定を組み合わせていく。正木もまた、「正木がそう説明した」という一つの情報源として読む必要がある。


時系列を整理する――ただし最後まで一本にはつながらない

ここでようやく、物語の時間を並べ直してみる。細部には複数の不一致があるので、まず大まかな順序だけを見る。

時期主な出来事
大正13年ごろ一郎の母・千世子をめぐる第一事件
その後一郎の調査・精神鑑定、正木らによる研究
大正15年4月モヨ子との婚礼をめぐる第二事件。4月26日夜には二少女をめぐる解剖室での処置が行われたと記録される
大正15年5月5月2日の教授室の場面(正木の居睡り)、5月3日の精神鑑定、解放治療場の工事など
大正15年10月19日正木の遺言書の日付。解放治療場をめぐる出来事
大正15年10月20日西海新聞号外の日付。正木死亡記事
物語現在若林によれば11月20日/正木によれば10月20日

大きな過去の順序はある程度追える。しかし「現在」へ来ると時間が割れる。

10月20日と11月20日

前半で若林は、現在の日付を11月20日と説明し、正木について一か月前に死亡した人物として話す。この系列を採れば、10月20日前後に正木が死亡し、約一か月後の11月20日に〈私〉が目覚めるという流れになる。

ところが後半に現れた正木は、現在を10月20日だと説明する。終盤で〈私〉が読む西海新聞号外にも10月20日の日付がある。こちらを採れば、10月20日に正木が〈私〉の前に現れ、同日の号外が正木の死亡を報じるという別の系列になる。

本文だけからどちらが正しいかを決めることはできない。若林が嘘をついているのか、正木が嘘をついているのか、〈私〉が一か月前の出来事を再体験しているのか、異なる時間が重なっているのか、あるいは別の理由なのか。本文には一方を優先させる明確な規則がない。

重要なのは、10月20日と11月20日という二つの日付が存在することは確定しているが、なぜ二つの日付が存在するのかは確定していない、という区別である。

「ループしている」と言い切れるのか

この日付問題と、冒頭・末尾で反復する時計の唸りから、『ドグラ・マグラ』をループする物語と読むことはできる。作中原稿『ドグラ・マグラ』についても、冒頭と末尾を同じ時計音で結ぶ構想が説明されているため、円環的な形式が存在することはかなり強く言える。

しかし、時計音が反復することと、作品世界の時間が物理的に巻き戻っていることは同じではない。ここでも、本文にある構造と、そこから導かれる解釈を区別した方がよい。


どこまで分かっていて、どこから分からないのか

ここまで整理すると、『ドグラ・マグラ』は全部が謎なのではないことが分かる。むしろ確定できることはかなり多く、その先にどうしても一つに決められない箇所が残る。

かなり強く言えること本文だけでは決められないこと
〈私〉は七号室で記憶を失った状態で目覚める〈私〉の現在の身体的正体
六号室の少女は〈私〉を兄・許嫁として扱う少女の身体同一性を含む完全な正体
複数の人物・資料が〈私〉を呉一郎へ結びつける〈私〉=呉一郎を独立して確定できるか
若林は現在を11月20日と説明する本当の現在日
正木は現在を10月20日と説明する一か月差が生じた理由
若林は正木が死亡したと説明する〈私〉の前へ現れた正木の存在状態
西海新聞号外にも正木死亡の記事がある正木の生死を含む全出来事の時間配置
正木は「犯人は俺」と語る正木単独犯なのか、W・M双方が関わるのか
WとMには若林・正木との強い対応があるW=若林、M=正木を完全に置換してよいか
作中原稿と現在の物語には強い構造的対応がある両者が完全に同じテクストか
冒頭と末尾には時計音の対応がある物理的な時間ループか
終盤で〈私〉は自分の体験を「胎児の夢」と考える『ドグラ・マグラ』全編が客観的に胎児の夢なのか

「よく分からなかった」の中には二種類ある。一つは、作中文書や人物関係が複雑すぎて、整理すれば分かるもの。もう一つは、本文そのものが複数の可能性を残していて、整理しても一つに決まらないもの。この二つを混同すると、『ドグラ・マグラ』は何も分からない小説だという印象になる。だが実際には、かなりの部分までは整理できる。そして、整理したあとにも残る不確定性こそが、この作品の重要な部分なのである。


『ドグラ・マグラ』を読むときは「誰によれば」を付ける

もしもう一度読み返すなら、一つだけ覚えておくとかなり読みやすくなる。文章を読むたびに、頭の中で「誰によれば?」と付けることである。

「正木博士は一か月前に死んだ」ではなく、「若林によれば、正木博士は一か月前に死んだ」と読む。「〈私〉は呉一郎である」ではなく、「少女、若林、正木、複数の文書が〈私〉を呉一郎へ結びつけている」と読む。「一郎は心理遺伝によって事件を起こした」ではなく、「ある作中文書では、一郎の事件が心理遺伝によって説明されている」と読む。「今日一日は胎児の夢だった」ではなく、「終盤の〈私〉は、今日一日が胎児の夢なのではないかと考える」と読む。

この小さな言い換えだけで、『ドグラ・マグラ』はだいぶ整理される。作品中で起きた出来事、人物が語った説明、文書に書かれた記録、〈私〉自身の推理が、全部同じ「事実」として頭の中で混ざらなくなるからである。


まとめ――『ドグラ・マグラ』は「分けて読む」と見えてくる

『ドグラ・マグラ』を読んで混乱したとき、「自分には難しすぎた」と考える必要はない。この小説は、現在の出来事の中へ人物の証言が入り、その中へ作中文書が入り、さらに文書の中へ別の証言や記事が入り込むように作られている。しかも、それらの情報は完全には一致しない。

だから最初にやるべきことは「真相を当てる」ことではなく、情報を分けることである。〈私〉が直接経験したこと、若林が説明したこと、正木が説明したこと、作中文書に書かれていたこと、新聞記事に記載されたこと、〈私〉自身が最後に推理したこと。これらを分ければ、作品の大部分はかなり見通せる。

そのうえで、〈私〉は本当に呉一郎なのか、正木と若林は何をしたのか、WとMは誰なのか、現在は10月20日なのか11月20日なのか、死んだ正木がなぜ現れたのか、物語は本当にループしているのか、全編は「胎児の夢」なのか、といった問題が残る。ここから先が、ようやく『ドグラ・マグラ』の「考察」である。

読解とは、謎を無理に解くことではない。まず何が分かっていて、何が本当に謎なのかを正確に分けることである。『ドグラ・マグラ』は、整理すればかなり分かる。そして、整理してもなお分からないものが残るようにできている。

次の記事「『ドグラ・マグラ』の真相とは?」では、ここで残った問題――〈私〉の正体、正木と若林、W・M、二つの日付、ループ、「胎児の夢」などについて、本文の根拠を比較しながら検討する。


この記事の調査について

本記事では青空文庫公開の『ドグラ・マグラ』本文を基準とし、人物、事件、作中文書、証言、時系列を本文に戻って照合した。その際、「〈私〉がその場で経験していること」「人物が口頭で説明したこと」「作中文書に記載されていること」「本文だけでは一つに決められないこと」を区別している[1]。

とくに、現在の日付、正木の生死、〈私〉と呉一郎の同一性、六号室の少女、WとM、作中原稿『ドグラ・マグラ』、冒頭と末尾の円環、「胎児の夢」などについては、食い違う記述を一つの正解へ無理に統合していない。本記事の目的は新しい真相説を提示することではなく、作品本文から確認できる構造と、そこから先の解釈を分け、再読のための地図を作ることである。


注

[1] 夢野久作『ドグラ・マグラ』は青空文庫で全文公開されている。青空文庫の図書カードによれば、公開本文の底本はちくま文庫『夢野久作全集9』(筑摩書房、1992年)。
青空文庫「ドグラ・マグラ」図書カード

[2] 〈私〉の同一性を正面から扱った研究として、安部美幸「夢野久作『ドグラ・マグラ』論――〈私〉とは何者か――」『尾道市立大学日本文学論叢』11号、2015年、173–188頁がある。
CiNii Research:安部美幸「夢野久作『ドグラ・マグラ』論――〈私〉とは何者か――」

[3] 作品構成を「体験」と「認識」の関係から論じた研究として、田中雅史「体験と認識――夢野久作『ドグラ・マグラ』の構成について」『言語文化研究』(徳島大学総合科学部)10号、2003年、87–108頁がある。
CiNii Research:田中雅史「体験と認識――夢野久作『ドグラ・マグラ』の構成について」


参考資料・主要出典

作品本文

夢野久作『ドグラ・マグラ』。本記事の本文確認の基準資料。
青空文庫「ドグラ・マグラ」図書カード

研究・読解

安部美幸「夢野久作『ドグラ・マグラ』論――〈私〉とは何者か――」『尾道市立大学日本文学論叢』11号、2015年、173–188頁。
CiNii Research

田中雅史「体験と認識――夢野久作『ドグラ・マグラ』の構成について」『言語文化研究』(徳島大学総合科学部)10号、2003年、87–108頁。
CiNii Research

山口隆介「夢野久作『ドグラ・マグラ』『絶対探偵小説 脳髄は物を考える処に非ず』解釈ノート――脳髄は物を考える処でもある――」『聖泉論叢』26号、33–44頁。
CiNii Research

※本記事はATTESTED記事です。事実記述は実在し確認可能な資料に基づき、第三者の見解、筆者による推論・解釈・評価を含む場合には、それらを確認済みの事実と混同しない形で記載しています。現実の事実として提示される意図的な虚構や捏造は含みません。

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