夢野久作とは? |『ドグラ・マグラ』の作者の生涯・代表作・文学観を解説

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夢野久作と聞いて、まず『ドグラ・マグラ』を思い浮かべる人は多いだろう。後世には、読む者が精神に異常をきたすといった紹介文とも結びつけられてきた奇書の作者であり[23]、怪奇、幻想、狂気、異常心理――そんな言葉と一緒に紹介されることも多い。だが、夢野久作本人の生涯と文章を調べていくと、それだけでは語り切れないもうひとつの側面が見えてくる。

軍隊に入り、慶應義塾で学び、農業を営み、出家し、能楽に関わり、新聞記者となり、作家として小説を書いた。童話、探偵小説、新聞ルポ、人物伝、随筆、能楽論まで手がけている。そして本人の評論を読むと、単純な「怪奇好きの変格派」でも「本格ミステリ嫌い」でもなかったことが分かる。

この記事では、夢野久作とは何者だったのか、生涯、代表作、筆名の由来、作風、文学観、探偵小説観、能楽との関係、そして『ドグラ・マグラ』がその中でどのような位置にあるのかを整理する。

また、『ドグラ・マグラ』の概要については「『ドグラ・マグラ』とは?」で解説した。作品の詳細な考察や解説に関しては「『ドグラ・マグラ』読解|読んだけれどよくわからなかった人のためのガイド」「『ドグラ・マグラ』考察|「真相」をめぐる6つの有力な読みを検証」にまとめた。

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夢野久作とは?


夢野久作(ゆめの・きゅうさく、1889年1月4日―1936年3月11日)は福岡出身の作家である。旧名は杉山直樹、のち杉山泰道。父は政治運動家・杉山茂丸だった[1]。名義については資料ごとに呼び方が違う。国立国会図書館は杉山直樹を「本名」、杉山泰道を「別名」とする一方、国書刊行会は直樹を「幼名」、泰道を「本名」としている。本人自身は「父杉山茂丸を語る」で直樹を「私の旧名」と書いているため、本記事では「旧名・杉山直樹、のち杉山泰道」と整理する[1][12]。

項目内容
筆名夢野久作
旧名杉山直樹
後の名杉山泰道
生年月日1889年1月4日
没年月日1936年3月11日
出身福岡
父杉山茂丸
主な活動小説、童話、評論、随筆、新聞ルポ、能楽関係の文章など
代表作『ドグラ・マグラ』『少女地獄』『犬神博士』「瓶詰地獄」「押絵の奇蹟」「あやかしの鼓」など

現在では『ドグラ・マグラ』が代表作として広く紹介されているが[1]、青空文庫の作家別作品リストだけでも、小説、童話、随筆、評論、新聞ルポ、能楽関係の文章など多数の作品が確認でき[2]。さらに国書刊行会の『定本 夢野久作全集』は全8巻で、全小説だけでなく、童話、エッセイ、短歌、評論、ルポルタージュ、初期作品、異稿などまで収録する。2016年の第1巻から2022年の第8巻まで刊行され、第8巻で全巻完結した[3]。


夢野久作の何がすごいのか?

「何がすごい作家なのか」を一言で決めるのは難しい。ただ、作品と本人の文章を合わせて読むと、少なくとも三つの特徴が見えてくる。

1. 「探偵小説」の範囲を狭く考えなかった

夢野久作は探偵小説を、犯人当てやトリックだけで成立するジャンルだとは考えていなかった。1935年の「探偵小説の正体」では、探偵小説の魅力を一つの要素だけで説明すること自体を疑っている。謎解き、良心への刺激、大人のためのお伽話など複数の説明を検討するものの、どれか一つですべてを言い尽くせるとはしない[4]。また、「探偵小説の真使命」では、探偵小説の今後の可能性を変格に見いだし、必要がなければ謎、トリック、名探偵、名犯人といった従来の装置を捨ててもよいと主張する[5]。ただしこれを「夢野久作はトリックや本格ミステリを否定した」と単純化してはいけない。後の「甲賀三郎氏に答う」では、本格・変格という名称にこだわる必要はないとし、双方を探偵小説の同じ使命の中に置いている[6]。

2. 小説の「形式」そのものを仕掛けにした

少なくとも「瓶詰地獄」「押絵の奇蹟」『ドグラ・マグラ』では、手紙、新聞記事、記録、談話、作中文書など、情報を媒介する形式そのものが物語の仕掛けになっている。「瓶詰地獄」は島から流された文書を読む形式をとり、「押絵の奇蹟」は手紙によって物語が進む。『ドグラ・マグラ』では、新聞記事、論文、遺言書、談話、記録などが巨大な入れ子構造を作る。読者は「誰の話を読んでいるのか」「この記録は信用できるのか」「何が実際に起きたことなのか」を自分で判断しなければならない。夢野久作の奇妙さは、題材が怪奇的だからというだけではない。情報を受け取る形式自体が不安定になるところにもある。

3. 小説以外にもかなり広い活動をしていた

夢野久作は探偵小説だけを書いていたわけではない。新聞記者としてルポルタージュを書き、童話を書き、人物伝を書き、探偵小説論を書き、能楽についてもまとまった文章を残した。『定本 夢野久作全集』第8巻には、報道・ルポ、短歌や川柳などの韻文、アンケート回答、座談、漫画、学生時代の文章、未発表作品、異稿などまで収められている[3]。『ドグラ・マグラ』だけを見ると「異常な一冊を書いた奇人」に見えるかもしれない。しかし作品群全体を見ると、幅の広い書き手だったことが分かる。


代表作――『ドグラ・マグラ』だけではない

夢野久作を知るなら、『ドグラ・マグラ』以外の作品も読んだ方がいい。長さも形式もかなり違うため、別作品を読むと作家像が大きく変わる。

「あやかしの鼓」

1926年、『新青年』の創作探偵小説懸賞で一等該当作なしの二等に選ばれ[26]、同年10月号に掲載された[7]。夢野久作名義で探偵小説界へ本格的に登場するきっかけとなった作品である。呪われた鼓をめぐる因縁譚で、怪奇性だけでなく、芸術、血縁、秘密といった後の久作にもつながる要素が見える。

「瓶詰地獄」

1928年10月『猟奇』掲載。孤島から流された複数の文書によって、そこで起きた出来事を読者自身が組み立てる短編である[8]。短い作品だが、情報の提示順序そのものが物語の意味を変える。「夢野久作を一作だけ試してみたい」という人にも入りやすい。

「押絵の奇蹟」

1929年に発表された作品。女性から男性へ宛てられた手紙という形式で、家族、血縁、芸術、記憶、偶然とは思えない符合が徐々に明らかになっていく[9]。『ドグラ・マグラ』の狂騒的なイメージとはかなり違い、夢野久作の幻想性や抒情性を知るのに向いている。

『犬神博士』

1931年から1932年にかけて『福岡日日新聞』に連載された長編。福岡県の筑豊地域や博多などを背景に、政治、宗教、社会、猥雑な人物群が強烈な語り口の中で混ざり合う。連載開始日については9月22日/23日の資料差が残るため、本記事では日付まで固定しない[27]。『ドグラ・マグラ』とはかなり違う勢いのある作品で、「難解な思想小説の作者」というイメージを崩してくれる。

「氷の涯」

1933年に『新青年』へ発表された作品。大陸を舞台に、追跡や逃走、極限状況が展開する、冒険・サスペンス色の強い一篇である[28]。怪奇や狂気だけでなく、状況に追い詰められる人物を描く物語作家としての夢野久作も見えやすい。

『少女地獄』

1936年3月に黒白書房から刊行された作品集。虚言、欲望、自己演出、他人が作り上げる人物像など、「人間について何を信じればよいのか」という問題が前面に出る[10]。

『ドグラ・マグラ』

1935年刊行。記憶を失った青年、二人の精神医学者、殺人事件、「胎児の夢」、脳髄論、大量の作中文書などを組み合わせた長編で、現在では夢野久作の代表作として知られている[1][11]。

初めて夢野久作を読むなら?

入口は好みで選んでいい。

読みたいものおすすめ
まず短く試したい「瓶詰地獄」
幻想的で美しい作品が読みたい「押絵の奇蹟」
奇怪な心理と嘘を読みたい『少女地獄』
長編の勢いを楽しみたい『犬神博士』
最大の迷宮へ行きたい『ドグラ・マグラ』

最初から『ドグラ・マグラ』へ行く必要はない。「瓶詰地獄」か「押絵の奇蹟」を先に読むと、夢野久作が単なる「難解作家」ではないことが分かりやすい。


夢野久作の生涯――軍人、農業、僧侶、能楽、新聞を経て作家へ

夢野久作の経歴はかなり変わっている。しかし「軍人を辞めて農家になり、農業を辞めて僧侶になり……」と職業を一直線に並べると実態を単純化しすぎる。公開された年譜や専門資料を合わせてみると、農業、能、執筆などは時期によって重なっていると考えられる[29][30][31]。

年代主な出来事
1889年福岡に生まれる
1908年修猷館を卒業し、軍隊へ
1911年慶應義塾へ入学
1913年ごろ慶應を離れ、農業に関わる
1915年曹洞宗で得度し、泰道の名を用いる
1917年ごろ還俗。農業・文章活動など
1919年前後『九州日報』の記者となる
1924年杉山泰道名義「侏儒」が探偵小説懸賞で選外佳作と年譜・専門研究に記される
1926年「あやかしの鼓」が『新青年』懸賞で二等
1930年ごろ福岡市黒門の郵便局長となったと年譜にある[29]
1935年『ドグラ・マグラ』刊行
1936年東京で死去。満47歳

この年表の主な根拠は、国立国会図書館の人物情報、九州大学の年譜資料、専門研究、作品書誌である[1][11][26][27][28][29][30][31][32][33]。

軍隊から慶應、そして農業へ

夢野久作は1908年に旧制修猷館中学を卒業し、その後、近衛歩兵第一聯隊に入った。1911年には慶應義塾へ進み、のちに農業に関わり、さらに出家する[29]。農園については、本人回想、年譜、出版社略歴で時期の切り方が少し異なる。土地との関わり、経営開始、還俗後の継続・再開をすべて同じ年の出来事とみなさない方がよい。

出家し、のちに還俗する

1915年には曹洞宗で得度し、「泰道」の名を用いるようになったと年譜にある。その後、1917年に還俗したとされる[30]。夢野久作というと「狂気の作家」という派手なイメージが先行するが、実際の経歴には宗教、農業、軍隊、新聞、能といった異質な経験が重なっている。

能楽との関係

久作は幼少期から謡に触れ、のちには喜多流謡曲教授として活動した。能は単なる趣味の一つではなかった。「能とは何か」は、青年の質問に久作が答えた内容を相手が筆録し、久作自身が一部加筆した文章である。そこで久作は、日常生活の所作、身体の鍛錬、型の洗練、芸を代々磨き上げることなどについて長く語っている[13]。ここから「だから『ドグラ・マグラ』の構造は能そのものだ」と直結させることはできない。能が久作にとって重要な芸術経験だったことと、特定作品を能の理論だけで説明できることは別問題である。

新聞記者として文章を書く

1919年前後には『九州日報』へ入り、新聞記者として活動した。1919年入社を支持する主要資料がある一方、1920年とする資料も残るため、本記事では細かな入社日まで断定しない[31]。注目するべきなのは、1926年以前から新聞、雑誌、童話などで文章を書いていたことである。

1926年が「執筆開始」ではない

夢野久作は1926年「あやかしの鼓」で突然初めて文章を書いたわけではない。学生時代の文章「阿蘇紀行」が残り、1917年前後には雑誌『黒白』などで文章活動を行っていた。1919年「正夢」、1920年「猿小僧」などを『九州日報』に発表し、1922年には杉山萠円(萠圓)名義の『白髪小僧』も刊行されている[2][32]。さらに1924年には、杉山泰道名義の「侏儒」が博文館の探偵小説募集で選外佳作となったことが、年譜と専門研究に記されている[32]。このことから、1926年を説明するなら、「夢野久作が文章を書き始めた年」ではなく、「夢野久作という筆名で探偵小説界へ本格的に登場した年」とするのが適切である。


「夢野久作」という筆名の由来

「夢野久作」は筆名である。

後年刊行された複数の博多方言辞典には、「ゆめのくうさく/ゆめのきゅうさく」に相当する語が、「ぼんやり者」「目が覚めているのか夢うつつなのか、いつもボーッとしている人」といった意味で収録されている。福岡県立図書館のレファレンス調査では、1997年、2011年、2014年刊の辞典類が挙げられている[14]。しかし、これらはいずれも夢野久作が筆名を使い始めた1926年より後に刊行された辞典である。よって、1926年以前から実際にこの語が使われていたことまで、今回確認した資料だけで確定することはできない。

一方、現在よく紹介されるのが、父・杉山茂丸が「あやかしの鼓」を評した言葉から筆名が付いたという逸話である。新潮社の著者プロフィールも、筆名を「夢想家」を意味する福岡方言とし、父が「あやかしの鼓」を評して付けたと紹介している[25]。だが、この命名場面についても、今回の調査では夢野久作本人が自ら説明した一次資料までは確認できなかった。

よって、「後年の博多方言辞典に同種の語が記録されていること」と「父の一言から筆名が決まったという命名逸話」は、証拠の種類を分けて扱うのが安全である。


夢野久作はどんな作家だったのか?

夢野久作を「怪奇作家」「幻想作家」「探偵小説家」のどれか一つに固定するのは難しい。実際の作品には怪奇、犯罪、心理、宗教、身体、血縁、異常な執着、ユーモア、ナンセンス、社会風刺などが混ざっている。

「誰の話が真実なのか」が揺れる

少なくとも「瓶詰地獄」「押絵の奇蹟」『ドグラ・マグラ』に共通して見えるのは、読者が出来事を直接見るのではなく、手紙、談話、新聞、記録などを通じて情報を受け取り、そこから事実関係を組み立てる構造である。『ドグラ・マグラ』はその仕掛けを極端な規模まで拡大した作品だが、「瓶詰地獄」や「押絵の奇蹟」のような短編にも、情報の受け取り方そのものを作品の仕掛けにする傾向が見える。

「狂気」は題材であって、作者自身の診断ではない

夢野久作はしばしば「狂気の作家」と呼ばれる。しかし、これは作品のイメージや後世の受容を表す言葉としては分かっても、作者本人についての医学的事実ではない。今回確認した本人の評論・随筆からも、自分自身を精神病者として告白したり、体系的な反科学思想を宣言したりする文章は確認できなかった。本人の文章から見えてくるのは、むしろジャンル、読者、構成、表現、創作方法についてかなり具体的に考えていた書き手の姿である。


夢野久作の文学観――「文芸」でありながら、既成の約束には縛られない

夢野久作の文学観を一つの完成した理論としてまとめることは難しい。今回確認した本人文章の範囲では、文学観を一つの体系として提示した文章は確認できず、探偵小説論、創作回想、読書論、能楽論などの中で、その都度考えが述べられている。それでも複数の文章を並べると、いくつか繰り返し現れる考え方が見えてくる。

小説である以上は「文芸」である

「甲賀三郎氏に答う」で久作は、それ以前に「探偵小説が文芸であるかどうかは責任を負う限りでない」と書いた自分の発言を撤回する。そして、「小説と名乗る以上は文芸でなければならない」と明言する[6]。ところが、その直後には重要な一文が続く。「在来の文芸上の約束に拘泥する必要は一つもない」というのである。つまり久作は、「探偵小説だから文学でなくてもいい」とも、「文学である以上、既存の文学形式に従わなければならない」とも考えていない。文学であることと、形式上の自由を同時に要求している。この二つが同じ文章の中にあることは、夢野久作の文学観を考えるうえでかなり重要である。

文学は人間心理の表面だけを描くものではない

「探偵小説の真使命」で久作が強く求めるのは、従来の心理描写よりさらに深く人間心理に入り込むことである。久作は探偵小説を、人間の心理を切り開き、文化や道徳の外観の下に潜むものを暴露し、最後には人間の良心を戦慄させる方向に進みうる文学として論じている[5]。ここで重要なのは、単に「怖い話を書きたい」という話ではないことだ。人間が自分自身について信じている正常さ、善良さ、道徳の下に何があるのか。そこまで作品が入り込んだとき、読者自身にも何かが起きる。久作の文学観では、作品に何が書かれているかだけでなく、それによって読者の内部に何が起こるかがかなり重く見られている。

「面白さ」と「真実味」は別ではない

創作についての本人発言も興味深い。「あやかしの鼓」当選後の「所感」で久作は、自分がどのように素材や構成を変えながら作品を作ったかを振り返っている。そして、もっと事実に沿って掘り下げれば、表面的な興味は薄れても、作品により深い真実味が生まれたのではないかと反省する[15]。また「探偵小説漫想」では、単に読者を驚かせる仕掛けではなく、「全篇のストーリーを一挙に真実化する」ようなトリックを理想として語る[16]。夢野久作にとってトリックは、単なるびっくり箱ではない。作品世界全体を「本当らしいもの」として成立させるための構成上の働きでもあった。

独創とは「何も読まない」ことではない

「探偵小説漫想」で久作は、他人の作品をそのまま真似たものは味が落ちるとして、自分自身の素材から作品を作ることを「自分の井戸から汲んだ水」という比喩で語る[16]。しかし夢野久作自身は、ポー、モーリス・ルヴェル(本人の原文表記では「ルベル」)、日本の多くの文学作品を読み、自然主義文学に熱中した過去まで回想している[17][20]。つまりここでいう独創は「他人の作品を読んではいけない」という意味ではない。外から受け取ったものをそのまま模倣するのではなく、自分自身の表現に変形することに重点があったと見る方がよい。

文壇や「純文学」にも無条件では従わない

「路傍の木乃伊」では、久作は自身の読書遍歴や自然主義への傾倒を振り返る一方、大量出版の中で似た刺激を持つ商品が次々に作られていく文学状況をかなり辛辣に批判している[17]。これは「純文学は不要だ」という単純な反文学宣言ではない。むしろ探偵小説か純文学かという分類だけで作品価値を決めるのではなく、安易な模倣や商品化そのものへ距離を取る姿勢が見える。

以上をまとめるなら、夢野久作の文学観には、

  • 小説は文芸であるべき
  • しかし既成の文学上の約束には縛られなくてよい
  • 人間心理の深部と読者自身に働きかける
  • 構成やトリックは作品全体の真実味を生み出す
  • 他人の表現をそのまま模倣せず、自分自身の表現に変える

という傾向が確認できる。

ただし、これは本人が掲げた体系的な「文学原理」ではない。複数の評論・随筆に散らばる発言を整理したときに見えてくる傾向である。


夢野久作は「変格探偵小説」の作家だったのか?

久作自身が「探偵小説の真使命」で変格の可能性を強く論じているため、本記事では夢野久作を「変格探偵小説」の作家として位置づけることに一定の理由があると考える[5]。しかし「本格ミステリが嫌いだった変格派」と説明すると、本人の発言とは合わなくなる。

変格の可能性を強く主張した

「探偵小説の真使命」で久作は、本格探偵小説を「原始的な型を伝統している純粋種」と呼び、その歴史的な価値を認めている。一方で、その真価はすでに古典的なものになったとし、探偵小説の今後の使命は変格にあると強く主張する。そして、謎やトリックが不要なら捨ててもよいとまで書く[5]。なお同じ文章の前半には、本格だけを真正な探偵小説とみなす議論が「曰く」として再現されるが、これは久作が批判の対象として紹介している理屈である。久作自身の「純粋種」という表現は、その後の「筆者は敢えて云う」以下で改めて現れるため、両者を混同しない必要がある。

ただし本格を否定してはいるわけではない

「甲賀三郎氏に答う」では、「本格、変格の名にこだわって」前後を見る必要はないとし、探偵小説の使命は本格・変格のどちらの名においても同じだと整理する[6]。さらに「探偵小説漫想」では、自分は本格探偵小説を書けない、本格を書くのは味気ない、と言いながら、その直後に読むのは本格物や本格味の深い作品が好きだと明言している[16]。つまり、書くのは不得手と読むのは好きが同時に成立している。このことからも分かるように、夢野久作は変格探偵小説の可能性を強く押し広げた作家ではあるが、本格そのものを嫌悪・否定した作家ではない。

探偵小説を一つの定義へ閉じ込めなかった

「探偵小説の正体」で面白いのは、夢野久作が自分で最終的な定義を一つ提示して終わらないことである。探偵小説とは謎解きなのか。良心を刺激する文学なのか。大人のお伽話なのか。久作は複数の説明を検討しながら、それぞれに当てはまらない作品があることを示す[4]。本人の複数の文章を通して繰り返されるのは、探偵小説を一つの装置や分類名に閉じ込めず、作品全体と読者への作用から考え直そうとする姿勢である。


江戸川乱歩とポー

夢野久作は孤立した奇人として突然現れたわけではない。同時代の探偵小説や海外文学をかなり読んでいた。江戸川乱歩については「江戸川乱歩氏に対する私の感想」で、自分にとっての「恩人」として扱う一方、個々の作品の構成や結末にはかなり率直な批評を加えている。尊敬していたから無条件に絶賛した、という関係ではない[18]。また「涙香・ポー・それから」では、ポー「黒猫」の意訳を読んだ経験によって、その後の自分の読書が変わったと回想している[19]。晩年の「私の好きな読みもの」でも、ポーとモーリス・ルヴェル――原文では「ルベル」――を特に好む作家として挙げている[20]。夢野久作を理解するうえで、本記事では「日本で突然生まれた奇怪な天才」というより、探偵小説、怪奇文学、新聞、能楽など複数の文化を取り込み、それを自分なりの形式に変形していった作家として捉える。


『ドグラ・マグラ』は夢野久作にとってどんな作品なのか

『ドグラ・マグラ』は1935年に刊行され、夢野久作は翌1936年に47歳で死去した[1]。現在では『ドグラ・マグラ』は夢野久作の代表作として広く紹介されている[1]。ただし、『ドグラ・マグラ』をそのまま夢野久作本人の思想告白として読むのは危険である。

作中には、

  • 「脳髄は物を考える処に非ず」
  • 「胎児の夢」
  • 心理遺伝
  • 精神病院・精神医学をめぐる批判的言説

など、複数の作中理論や批判的言説が登場する。

しかし、それらは小説中の人物や作中文書によって語られる理論である。今回確認した夢野久作本人の評論・随筆からは、作中の脳髄論や心理遺伝説を本人が全面的に同意していたことは確認できない。つまり、『ドグラ・マグラ』にそう書いてある=夢野久作本人が科学的事実としてそう信じていた、とみなすことはできない。一方で、既成の文学形式に拘泥しないこと、人間心理の表面より深く入ろうとすること、作品全体の真実味や読者への作用を重視することなど、本人の文学観と『ドグラ・マグラ』を比較して考えられる論点は多い。そこから先、「どの作中理論が作者自身の文学観とどう関係するのか」を考えるのは、人物紹介ではなく作品批評の領域になる。


47歳で死去――その後の再評価

夢野久作は1936年3月11日、東京で死去した。満47歳だった[1][33]。だが、現在のような評価が死後すぐに固定されたわけではない。1956年には、早川書房のハヤカワ・ミステリから『ドグラ・マグラ』が刊行された。[21] 作品が戦後に再び読者へ届く経路の一つとなった版である。その後、鶴見俊輔が1962年に雑誌『思想の科学』へ「ドグラ・マグラの世界」を発表した。講談社は現在の文庫版紹介でも、この論考によって、戦後ほとんど顧みられていなかった夢野久作が「再発見」されたと説明している[24]。

1969年から1970年には三一書房版『夢野久作全集』全7巻が刊行された[22]。さらに1976年10月13日には、角川文庫から『ドグラ・マグラ』上・下巻が刊行された[23]。 文庫化は、その後の一般読者が『ドグラ・マグラ』に接する経路の一つになったと考えられる。

つまり戦後の流れを大きく見るなら、

復刊
→ 批評による再評価
→ 全集化
→ 文庫化

という複数の段階を経て、現在の夢野久作像が形成されていったと見ることができる。


夢野久作についてよくある質問

Q. 夢野久作は本名ですか?

A. 筆名である。名義の呼び方には資料差があるが、本人自身は杉山直樹を「旧名」としており、その後は杉山泰道の名を用いた。ほかにも杉山萠円(萠圓)、海若藍平、香倶土三鳥など複数の名義が確認できる[1][2]。

Q. 「夢野久作」という筆名にはどんな意味がありますか?

A. 後年刊行された博多方言辞典には、「ぼんやりした人」「夢うつつのような人」を表す語として「夢野久作」に相当する表現が記録されている[14]。ただし、確認できた辞典はいずれも1926年以後の刊行であり、夢野久作が筆名を使い始める以前から実際に同じ語が使われていたことまでは確定できない。

父・杉山茂丸が「あやかしの鼓」を評した言葉から筆名を付けたという逸話も出版社などで紹介されているが、その命名場面を本人自身が説明した一次資料は今回確認できていない[25]。

Q. 夢野久作は「狂人」だったのですか?

A. そのように断定できる根拠は確認できない。『ドグラ・マグラ』などで狂気や精神医学が題材になることと、作者自身について医学的診断を下すことは別問題である。「狂気の作家」は作品や受容上のイメージとして扱うべきで、人物事実に置き換えるべきではない。

Q. 夢野久作は本格ミステリが嫌いだったのですか?

A. 単純には言えない。変格探偵小説を強く擁護する文章を書く一方、「甲賀三郎氏に答う」では本格・変格の名にこだわる必要を退け、「探偵小説漫想」では本格物を読むのが好きだと明言している[6][16]。

Q. 夢野久作はどんな文学を目指していたのですか?

A. 今回確認した本人文章の範囲では、文学観を一つの完成した体系として提示した文章は確認できない。ただし本人の文章には、小説は文芸であるべきだが従来の文芸上の約束に拘泥する必要はないこと、人間心理の深部や読者自身へ働きかけること、作品全体の真実味や独創を重視することなどが確認できる[5][6][16]。

Q. 『ドグラ・マグラ』以外に何を読めばいいですか?

A. 短い作品なら「瓶詰地獄」、幻想的な作品なら「押絵の奇蹟」、虚言や心理を楽しみたいなら『少女地獄』が入りやすい。夢野久作という作家の幅を知るには、『ドグラ・マグラ』以外を一作読むだけでもかなり印象が変わる。


まとめ――「狂気の奇書を書いた人」だけでは見えない夢野久作

夢野久作は『ドグラ・マグラ』を書いた作家である。しかし、それだけではかなり見えなくなるものがある。軍隊、慶應、農業、出家、能楽、新聞。童話、探偵小説、人物伝、評論、随筆、ルポルタージュ。ひとつのジャンルや肩書だけでは収まりにくい経歴と活動を持っていた。

文学観も同じである。小説は文芸でなければならない。しかし従来の文芸上の約束へ拘泥する必要はない。謎やトリックだけで作品価値を決めるのではなく、人間心理の深部、読者自身に起きる戦慄、作品全体の真実味や独創まで考える。変格を強く擁護しながら、本格を全面否定するわけでもない。

夢野久作は、単に既成の文学を壊そうとした作家ではなく、文学であることを引き受けながら、その形式をどこまで自由にできるかを考えていた作家として見ることができる。その延長線上に『ドグラ・マグラ』という巨大で異様な作品を見ることもできるだろう。

夢野久作を「狂気の奇人」として見るだけなら話は簡単である。しかし本人の文章まで読むと、むしろ見えてくるのは、形式、読者、心理、真実味、独創についてかなり執拗に考えていた書き手である。『ドグラ・マグラ』以外をまだ読んだことがないなら、まず「瓶詰地獄」か「押絵の奇蹟」を一篇読んでみるといい。そこから見る『ドグラ・マグラ』は、少し違った作品に見えてくる。


この記事の調査について

本記事は、国立国会図書館、青空文庫、出版社公式書誌、夢野久作本人の評論・随筆、公開された年譜・専門研究を照合して作成した。人物史では、生年、没年、名義、軍歴、慶應義塾、農業、出家、新聞、能楽、作品発表史などについて資料間の差を残したまま扱い、一つの年譜へ無理に統合していない。文学観についても、個別の評論・随筆に現れる発言を、一つの完成した思想体系へ無理に統合していない。「小説は文芸であるべきだが既成の約束へ拘泥しなくてよい」「人間心理や読者への作用を重視する」「作品全体の真実味や独創を考える」といった記述は、複数の本人文章から確認できる傾向として整理している。また、「夢野久作は狂気の作家だった」「本格ミステリを嫌っていた」「『ドグラ・マグラ』の脳髄論は作者自身の科学思想だった」といった説明については、本人文章から確認できる範囲を超えて事実扱いしていない。


注

  1. 国立国会図書館「近代日本人の肖像――夢野久作」。生没年、名義、父・杉山茂丸などの基本人物情報を参照。
  2. 青空文庫「作家別作品リスト:夢野久作」。作品一覧、別名義、公開作品の書誌情報を参照。
  3. 国書刊行会「《定本 夢野久作全集》内容見本出来!」/『定本 夢野久作全集 第8巻』。全8巻の構成、収録範囲、第8巻での完結を参照。
  4. 夢野久作「探偵小説の正体」。探偵小説の定義・魅力を複数の観点から検討する本人文章。
  5. 夢野久作「探偵小説の真使命」。変格探偵小説、心理、良心、謎・トリック等についての本人文章。
  6. 夢野久作「甲賀三郎氏に答う」。本格・変格、探偵小説と文芸についての本人文章。
  7. 青空文庫「『あやかしの鼓』図書カード」。初出・底本等の書誌情報を参照。
  8. 青空文庫「『瓶詰地獄』図書カード」。初出・底本等の書誌情報を参照。
  9. 青空文庫「『押絵の奇蹟』図書カード」。初出・底本等の書誌情報を参照。
  10. 青空文庫「『少女地獄』図書カード」。底本・作品書誌を参照。
  11. 青空文庫「『ドグラ・マグラ』図書カード」/国立国会図書館サーチ『ドグラ・マグラ』。本文・底本情報および1935年刊行の書誌を参照。
  12. 『定本 夢野久作全集 第8巻』国書刊行会、2022年。人物略歴、作品・活動歴、年譜・著作年譜等の基礎資料として参照。名義整理のうち本人が杉山直樹を「旧名」と記す箇所は、夢野久作「父杉山茂丸を語る」も参照。
  13. 夢野久作「能とは何か」。本人談話を他者が筆録し、本人が一部加筆した文章。
  14. レファレンス協同データベース「博多の方言に『夢野久作』があるが、そのことが掲載されている資料をみたい」。福岡県立図書館による方言資料の調査回答。
  15. 夢野久作「所感」。「あやかしの鼓」応募・創作過程についての本人回想。
  16. 夢野久作「探偵小説漫想」。本格探偵小説、推理・情景、トリック、独創についての本人文章。
  17. 夢野久作「路傍の木乃伊」。読書遍歴、自然主義、文壇・出版状況についての本人文章。
  18. 夢野久作「江戸川乱歩氏に対する私の感想」。江戸川乱歩との関係と作品評価についての本人文章。
  19. 夢野久作「涙香・ポー・それから」。黒岩涙香、ポー等の読書経験についての本人回想。
  20. 夢野久作「私の好きな読みもの」。ポー、モーリス・ルヴェル、本格探偵小説等についての本人文章。
  21. 早川書房『ドグラ・マグラ』(ハヤカワ・ミステリ)。出版社書誌では1956年9月19日刊行。
  22. CiNii Books『夢野久作全集』。三一書房、1969年6月―1970年1月、全7巻。
  23. KADOKAWA『ドグラ・マグラ(上)』/『ドグラ・マグラ(下)』。出版社表示の発売日は1976年10月13日。現在の商品紹介には、読む者が「精神に異常をきたす」と伝えられる奇書である旨の紹介文が掲載されている。
  24. 講談社『ドグラ・マグラの世界/夢野久作 迷宮の住人』。鶴見俊輔著、講談社文芸文庫、2024年。1962年「ドグラ・マグラの世界」と戦後の再評価についての版元紹介を参照。
  25. 新潮社「夢野久作」著者プロフィール。筆名の方言上の意味と、父・杉山茂丸による命名逸話の出版社紹介を参照。
  26. 松田祥平「夢野久作『あやかしの鼓』論」、2018年。『新青年』懸賞で一等該当作なしの二等となったこと、同時に「窓」も二等だったことを確認する際に参照。
  27. 加田晃啓「夢野久作『犬神博士』論」/九州大学所蔵資料・1931年年譜。『犬神博士』の連載時期と、開始日9月22日/23日の資料差を参照。
  28. 福岡市文学館「氷の涯」書誌/九州大学所蔵資料・1933年年譜。1933年の『新青年』発表と単行本書誌を参照。
  29. 加田晃啓による夢野久作年譜整理、筑紫野市民図書館の郷土資料案内、夢野久作「父杉山茂丸を語る」を参照。修猷館、軍隊、慶應義塾、農業などの経歴について、資料ごとの確認範囲を区別した。
  30. 九州大学所蔵資料・1915年年譜/川崎賢子による夢野久作解説。得度、「泰道」の名、還俗前後の経歴を参照。
  31. 九州大学所蔵資料・1919年年譜/川崎賢子による夢野久作解説。『九州日報』入社時期について、1919年を支持する資料と1920年とする記述が併存することを参照。
  32. 川崎賢子による夢野久作解説/九州大学所蔵資料・1924年年譜/青空文庫「正夢」「猿小僧」「白髪小僧」。1926年以前の文章活動と、1924年「侏儒」の探偵小説応募・選外佳作を参照。
  33. 九州大学所蔵資料・1936年年譜。1936年3月11日の死去と、死亡地を東京の継母宅とする年譜記載を参照。建物・住所の細部までは本記事では固定しない。

参考資料・主要出典

夢野久作本人の文章

人物・書誌

主要作品

戦後受容

※本記事はATTESTED記事です。事実記述は実在し確認可能な資料に基づき、第三者の見解、筆者による推論・解釈・評価を含む場合には、それらを確認済みの事実と混同しない形で記載しています。現実の事実として提示される意図的な虚構や捏造は含みません。

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