スプラッター映画(splatter film)は、血、切断、内臓、身体の破壊といった表現を、特殊効果による見せ場として強く前面に出す映画や、そのような演出を特徴とする作品群を指して使われる言葉である。
ゴア(gore)と近い意味で使われることもあるが、両者は完全な同義語ではない。ゴアは血や傷、内臓、身体損壊など、画面にどのような身体損傷が見えているかを表す広い言葉である。スプラッターでは、こうした損傷を長く見せる、繰り返す、特殊効果の見せ場として強調するといった演出が特徴になる。
映画史研究では、スプラッター/ゴア映画の変化は残酷描写の量だけでなく、身体を何によって作り、どの距離から、どれほど長く見せ、観客がその映像をどのように見るようになったかという技術・流通・観客文化の変化としても研究されている。
スプラッター映画とは何か
英語のsplatterには、液体などが飛び散る、はね散るという意味がある。映画についてsplatter filmと言う場合は、血液や身体損壊を特殊効果によって明示的に見せ、その場面を作品の大きな見せ場にするホラー映画や演出を指すことが多い。1981年にはJohn McCartyが『Splatter Movies: Breaking the Last Taboo』をFantaCo Enterprisesから出版している。同書はsplatter moviesをホラー映画のsub-genreとして扱っており、1980年代初頭には身体破壊を前面に出す映画群が一つのカテゴリーとして整理されていたことを確認できる。一方、スプラッター映画に公式の判定基準が存在するわけではない。批評、ファン文化、配給、マーケティングなどで使用範囲には違いがある。
スプラッターとゴアの違い
スプラッターとゴアは重なる部分が大きいが、使用範囲は同じではない。
| 言葉主に表すもの | 主に表すもの |
|---|---|
| ゴア(gore) | 血、傷、切断、内臓などの明示的な身体損傷や、その強度 |
| スプラッター(splatter) | 血や身体破壊を、特殊効果による持続的・反復的な見せ場として前面に出す映画や演出 |
| エクストリームホラー(extreme horror) | 暴力、性、禁忌、不快感、流通上の限界などを含む、境界の変動する広い呼び方 |
| トーチャーポルノ(torture porn) | 主に2000年代の一部作品を、拷問や長時間の苦痛の見せ方から批判的に分類した言葉 |
ゴアは映画全体だけでなく、一つの場面にも使える。戦争映画や犯罪映画に傷口や身体欠損を明示的に見せる場面があれば、その部分をゴアと呼ぶことができる。スプラッターでは、損傷が起きる瞬間だけでなく、その前後まで含めて見せ場が組み立てられる場合が多い。刃物が近づく時間を引き延ばす、切断面を見せる、別の身体破壊を繰り返すといった演出である。
ゴアとグロの違いについては、「ゴアとは?|グロ・リョナとの違いと意味を解説」で詳しく扱っている。
「スプラッター」という言葉は誰が作ったのか
George A. Romeroが造語したのか
スプラッター映画については、『Night of the Living Dead』や『Dawn of the Dead』で知られるGeorge A. Romeroが「splatter film」という言葉を作ったという説明が広く流通している。現在確認できる一次資料から、Romeroがこの言葉を初めて作った場面を確定することはできない。1978年3月の『Rolling Stone』によるRomeroのインタビューでは、Romero本人が自分の評判を説明する際に“splatter films”という表現を使っている。
これは造語を宣言する発言ではなく、その時点で自分に結びついていた評判を説明する文脈である。1978年には、Romero本人が“splatter films”を普通の表現として使用していたことが確認できる。1981年にはMcCartyの『Splatter Movies』が出版され、作品群が一つのカテゴリーとして整理された。Romeroと『Dawn of the Dead』がスプラッターという言葉の定着と強く結びつき、McCartyが1981年に作品群として体系化したことは確認できるが、誰が最初に印刷物でsplatter filmという言葉を使ったのかは確定していない。
スプラッター映画以前にも身体破壊は描かれていた
スプラッター映画が成立する以前から、映画や舞台では身体の切断や流血が表現されていた。映画以前のフランスではGrand-Guignol(グラン・ギニョール)が、舞台上で流血、眼球損傷、切断などをトリックによって演出していた。映画では『The Execution of Mary, Queen of Scots』(1895)で俳優を人形に置き換える斬首表現が使われ、『Un Chien Andalou』(1929)には眼球切開のモンタージュが登場する。日本映画『地獄』(1960)にも、地獄で身体が損壊する場面がある。Alfred Hitchcockの『Psycho』(1960)のシャワー場面は、傷口を長く見せるのではなく、短いショット、叫び、音、編集によって暴力を成立させている。身体破壊の映画史には、損傷を直接見せる方法だけでなく、人形との置換、画面外での暴力、音、編集によって観客に損傷を想像させる方法も含まれている。
1960年代|『Blood Feast』とカラーの血
スプラッター/ゴア映画史で頻繁に転換点として扱われる作品が、Herschell Gordon Lewis監督の『Blood Feast』(1963)である。『Blood Feast』を「映画史上初めて人体損傷を映した映画」とすることはできない。それ以前にも身体切断や眼球損傷などを扱った作品は存在する。この作品では、カラーの血液、臓器、身体損壊が長編映画の大きな売り物として前面に出された。American Film Instituteの『Blood Feast』資料には、Lewisがシカゴで特殊効果の準備を行い、独自の舞台用血液を制作した記録がある。上映時に観客へ嘔吐用のプラスチック容器を配った興行についても記録されている。Lewisはその後、『Two Thousand Maniacs!』(1964)、『Color Me Blood Red』(1965)などを制作した。
Kevin Heffernanは『Ghouls, Gimmicks, and Gold: Horror Films and the American Movie Business, 1953–1968』で、この時代のホラー映画を作品内容だけでなく、制作、配給、興行、宣伝の変化から研究している。
1960年代のゴア表現は、特殊効果技術だけではなく、刺激的な映像をどのように宣伝し、観客を劇場に呼ぶかという興行とも結びついていた。
1970年代|身体を明示的に見せるホラーの拡大
1970年代には、身体損傷を明示的に見せる映画がさまざまな地域で制作された。
『Dawn of the Dead』
George A. Romeroの『Dawn of the Dead』(1978)では、Tom Saviniによる銃創、咬傷、切断、内臓などの特殊メイクが繰り返し登場する。ゾンビが人間を食べる場面では、損傷が一瞬の衝撃として終わらず、人工的に作られた肉や内臓が画面に残る。Romero自身が1978年に“splatter films”という言葉を使っていることも含め、『Dawn of the Dead』は後世のスプラッター映画像と強く結びついた作品となった。
Lucio Fulci
Lucio Fulciの『Zombi 2』(1979)では、眼球損傷、腐敗した身体、内臓などが長く見せられる。眼球損傷の場面では、危険が迫ることを先に示し、接触するまでの時間を引き延ばし、その後の損傷まで見せる。予告、遅延、衝撃、傷の開示という構造は、スプラッター映画で繰り返し使われる演出の一つである。
『The Texas Chain Saw Massacre』は大量のゴアを見せない
Tobe Hooperの『The Texas Chain Saw Massacre』(1974)は非常に残酷な映画として知られているが、画面に映る血や身体損壊の量は、その評判ほど多くない。肉を思わせる美術、叫び、騒音、熱、追跡、拘束といった要素が強烈な印象を作っている。この作品は、映画の過激さと画面上のゴア量が必ずしも一致しない例でもある。
1980年代|特殊メイクとFangoria
1980年代には特殊メイクや機械仕掛けが発達し、身体が壊れる場面を長く、複雑に見せる作品が増えた。使われた技術には、フォームラテックスなどによる人工皮膚、可動式ダミー、血液チューブ、空気圧で動く装置、アニマトロニクス、精密な型取りなどがある。『An American Werewolf in London』(1981)、『The Thing』(1982)、『Day of the Dead』(1985)などでは、切断だけでなく、身体が時間をかけて変形、裂開、崩壊する過程が見せ場になった。
特殊メイク職人が知られるようになる
1979年創刊のホラー専門誌『Fangoria』は、完成した怪物や傷だけではなく、特殊メイクの制作中写真、材料、工程、制作者を読者に紹介した。James Kendrickは『Hollywood Bloodshed: Violence in 1980s American Cinema』で、1980年代の映画暴力とともにFangoria、特殊メイク職人の知名度上昇、Tom Saviniらのファン文化上の位置を扱っている。特殊メイクを誰が作ったのか、どのような仕掛けが使われたのかが知られることで、観客は映画の物語だけでなく、効果の作り方も評価できるようになった。
Tom Saviniと「手品」としての特殊効果
Tom Saviniは特殊メイク効果について、観客に錯覚を信じさせる手品になぞらえて説明している。2020年の『The Independent』によるSaviniのインタビューでは、特殊効果制作を“magic trick”として語り、素材、経験、撮影時の見え方について説明している。『Dawn of the Dead』の血についても、容器の中ではよく見えた色が、撮影するとピンク色に見えたと振り返っている。特殊メイクでは実際の人体や血液をそのまま再現するだけではなく、照明や撮影媒体を通して「傷や血として読めるもの」を作る必要がある。
VHSはスプラッター映画の見方をどう変えたのか
1980年代以降、VHSはホラー映画の流通と鑑賞方法を変えた。映画館では一度通り過ぎる場面も、家庭用ビデオでは停止、巻き戻し、再生ができる。劇場で公開されなかった作品や輸入作品も、レンタルビデオやビデオ販売を通じて観客に届くようになった。Matt Hillsは『The Pleasures of Horror』で、ホラーの快楽を映画本編だけに限定せず、ファンジン、雑誌、イベント、収集、趣味の評価といったファン文化まで含めて論じている。
Joan Hawkinsの『Cutting Edge: Art-Horror and the Horrific Avant-Garde』は、ビデオ流通を通じてアート映画、前衛映画、低俗とされたホラーが同じ観客文化の中で交差したことを扱っている。イギリスのvideo nastiesを研究したKate Eganも、『Trash or Treasure? Censorship and the Changing Meanings of the Video Nasties』で、規制対象となったビデオが後にファンの収集対象として価値を持つようになる過程を研究している。VHSによってスプラッター映画は劇場で一度見る作品だけではなく、繰り返し視聴し、特殊効果を確認し、作品や版を収集する対象にもなった。
スプラッターと笑い|splatstickとは何か
血や身体破壊は恐怖だけに使われるわけではない。splatterとslapstickを組み合わせたsplatstick(スプラットスティック)という言葉は、過剰な身体破壊をタイミング、反復、道具の誤作動、人工性などによって笑いと結びつける作品を説明するときに使われる。Michael Arnzenは1994年の“Who’s Laughing Now? The Postmodern Splatter Film”で、ポストモダンなスプラッター映画と笑い、特殊効果の自己意識について論じている。
『Re-Animator』(1985)、『Evil Dead II』(1987)、Peter Jacksonの『Bad Taste』(1987)、『Braindead / Dead Alive』(1992)などでは、大量の血、身体の分解、現実にはあり得ない動きが笑いと結びついている。『Braindead』では身体破壊が現実的な暴力の範囲を越えて誇張され、血や肉片がスラップスティック的な運動の一部になる。
恐怖と笑いは、スプラッター映画の中で必ずしも排他的ではない。
1990年代にスプラッター映画は衰退したのか
1990年代の劇場ホラーでは、心理スリラーや自己言及的なスラッシャー映画が目立つようになった。この時期をスプラッター映画の空白期とすることはできない。『Braindead』のような作品が制作され、direct-to-video、輸入ビデオ、ファンジン、カルト映画を扱う店舗や上映などを通じて過激なホラー映画は流通し続けた。
David Churchは『Grindhouse Nostalgia: Memory, Home Video and Exploitation Film Fandom』で、かつてのgrindhouse興行がhome videoや後世のファン文化の中でどのように記憶・再構成されたかを研究している。Kate Eganによるvideo nasties研究も、禁止や規制によって消えた作品が、ビデオ文化や収集を通して別の価値を持つようになる過程を扱っている。
劇場の主流作品だけを見て、1990年代にスプラッター文化が消えたと判断することはできない。
2000年代|『Saw』『Hostel』とトーチャーポルノ
2000年代には『Saw』(2004)や『Hostel』(2005)などをめぐり、身体破壊や苦痛の見せ方について大きな批評的議論が起こった。この時期に広く知られるようになった言葉がtorture porn(トーチャーポルノ)である。David Edelsteinは2006年に“Now Playing at Your Local Multiplex: Torture Porn”を発表し、『Hostel』など複数の作品を、長時間の苦痛や観客の共犯性と結びつけて論じた。
torture pornは、スプラッターと同じ意味の安定したジャンル名ではない。後の研究では、2000年代の一部作品を批判的にまとめたpress label、言説上のカテゴリーとして検討されている。『Saw』シリーズについても、第1作と後期作品を同じゴア量で扱うことはできない。第1作では多くの暴力が画面外や事後に置かれ、シリーズが進むにつれて罠や身体損壊を明示的に見せる場面が増えていった。
2000年代の批評では、身体が壊れる瞬間だけでなく、拘束、予告、選択、苦痛が続く時間も論点になった。
現在のスプラッター映画とデジタル技術
現在のゴア/スプラッター表現は、実物特殊効果かCGかという二択ではない。人工皮膚、ダミー、血糊などを撮影し、その後でワイヤーや装置をデジタル処理で消したり、血液や損傷を追加したりする方法も使われる。実物特殊効果とデジタル処理を組み合わせれば、俳優と補綴の境界を消し、撮影現場では不可能な動きを加えることもできる。映画研究でも、practical effectsをCGより自動的に優れたものとするのではなく、それぞれが画面上でどのような身体を作っているかが分析されている。
スプラッター映画の特殊効果はどのように作られるのか
スプラッター映画の身体破壊には複数の技術が使われる。
| 技術主な用途 | |
|---|---|
| フェイクブラッド | 出血、飛沫、血溜まり |
| ラテックス・シリコーンなどの補綴 | 傷口、皮膚、腫れ、裂開 |
| ダミー・人工身体 | 切断、圧壊、頭部破壊 |
| 血液チューブ | 傷口からの血液噴出 |
| アニマトロニクス | 変形した身体や器官の動き |
| カメラアングル・編集 | 俳優と模型の切り替えを隠す |
| デジタル処理 | ワイヤーや継ぎ目の除去、血や損傷の補助 |
特殊メイクでは、実物と同じものを作れば必ず画面上でリアルに見えるわけではない。撮影時の照明、フィルムやデジタルカメラの特性、カメラとの距離などに合わせて、血の色、傷の深さ、臓器や断面の形が調整される。特殊メイクによる身体は、撮影のために設計された人工的な身体でもある。
スプラッター映画では身体破壊をどう見せるのか
スプラッター/ゴア映画の場面では、いくつかの演出が繰り返し確認できる。
予告
刃物、罠、拘束された身体などを先に見せ、何が起こるかを予測させる。
遅延
危険が身体に触れる直前で時間を延ばす。カットを切り替えたり、道具をゆっくり近づけたりすることで損傷の瞬間を待たせる。
衝撃
刃物が入る、身体が破裂する、骨が折れるといった瞬間を映像と音で強調する。
傷の開示
損傷後の傷口、切断面、内臓などを見せる。衝撃の瞬間だけで場面を終わらせず、結果を画面に残す。
余波
血液が流れ続ける、身体が痙攣する、遺体が画面に残るなど、暴力の結果を持続させる。Philip Brophyは1983年の“Horrality”で、1970年代後半以降のホラーについて、物語を語ることだけでなく身体や家族の破壊を「見せる」こと、特殊効果、笑いなどを論じている。スプラッター映画では、身体損傷が物語上の出来事であると同時に、観客が一定時間見ることのできる特殊効果の場面として構成されることがある。
なぜスプラッター映画を見る人がいるのか
スプラッター映画の観客を一つの心理で説明することはできない。特殊メイクで作られたゴアの場合、観客は劇中の「人物が傷ついている」という出来事を見る一方、それがラテックス、模型、血糊、編集、音響などで作られた映像だと知っている場合もある。そのため、恐怖や嫌悪だけでなく、特殊効果の技術を見る、仕掛けを確認する、過剰な身体破壊を笑う、作品や版を収集するといった鑑賞行動も記録されている。Fangoria、VHS、ファンジン、メイキング映像、コンベンションなどは、こうした制作知識をファン文化の一部にした。この説明は特殊効果で模擬された身体損傷についてのものである。現実の死傷映像や実際の動物への危害を、同じ特殊効果鑑賞の枠組みで扱うことはできない。
スプラッター映画はホラーだけなのか
「スプラッター映画」という言葉はホラーとの結びつきが強く、McCartyの『Splatter Movies』もホラー映画のサブジャンルとして扱っている。splatterに近い過剰な身体破壊の演出は、ブラックコメディやアクションなどにも現れる。splatterは作品群の呼び方として使われる場合と、身体破壊を強く見せる演出モードとして説明される場合がある。ゴアはさらに使用範囲が広く、戦争映画、犯罪映画、アート映画などに含まれる一部の身体損傷にも使える。この点でもゴアとスプラッターの範囲は一致しない。
よくある質問
Q. スプラッター映画とは何ですか?
A. 血、切断、内臓などの身体破壊を、特殊効果による大きな見せ場として前面に出す映画や、その演出を特徴とする作品群を指して使われる言葉である。
Q. スプラッターとゴアは同じですか?
A. 完全な同義語ではない。ゴアは血や身体損傷の明示的な内容を指す広い言葉である。スプラッターは、それらを持続的・反復的な特殊効果の見せ場として強調する映画や演出を指す場合が多い。
Q. スプラッター映画を作ったのは誰ですか?
A. 一人の人物がスプラッター映画を発明したとすることはできない。1963年のHerschell Gordon Lewis『Blood Feast』は、カラーの血や臓器を映画の大きな売り物にした作品として映画史上の転換点とされる。1970年代にはGeorge A. Romeroらの作品で身体破壊の見せ方が拡大し、1981年にはJohn McCartyが『Splatter Movies』を出版した。
Q. George A. Romeroが「splatter」という言葉を作ったのですか?
A. Romeroが造語したという説明は広く流通しているが、造語した場面を示す一次資料は確認できない。1978年にはRomero本人が、自分の評判を説明する言葉として“splatter films”を使用している。
Q. 『Blood Feast』は世界初のスプラッター映画ですか?
A. 「世界で初めて身体破壊を映した映画」という意味ではない。それ以前にも切断や眼球損傷などを扱った映像は存在する。『Blood Feast』は、カラーの血、臓器、身体損壊を長編映画の大きな売り物として前面に出した作品として位置づけられている。
Q. スプラッター映画は怖い映画ですか?
A. 恐怖だけを目的とする作品ばかりではない。『Evil Dead II』や『Braindead』のように、大量の血や身体破壊を笑いと結びつける作品もあり、こうした表現にはsplatstickという言葉が使われる。
Q. 『Saw』はスプラッター映画ですか?
A. 『Saw』シリーズには強い身体損傷表現を含む作品があるが、シリーズ全体を同じゴア量で扱うことはできない。第1作では多くの暴力が画面外や事後に置かれている。後の作品では罠や身体損壊を明示的に見せる場面が増えている。また、『Saw』や『Hostel』は2000年代にtorture pornという別の批評語をめぐる議論の対象にもなった。
まとめ
スプラッター映画は、血、傷、切断、内臓などの身体破壊を、特殊効果による見せ場として強く前面に出す映画や演出を指して使われる言葉である。
ゴアと重なる部分は大きいが、完全な同義語ではない。ゴアは身体損傷の明示的な内容を表す広い言葉であり、スプラッターでは損傷を長く見せ、反復し、特殊効果の見せ場として強調する演出が大きな特徴になる。
身体損傷を映像化する技術は映画初期から存在した。1963年の『Blood Feast』はカラーの血や臓器を映画の売り物として前面に出し、1970年代には『Dawn of the Dead』などで身体破壊の提示が拡大した。
1980年代には特殊メイク技術とFangoriaによって特殊効果職人や制作工程が広く知られるようになり、VHSは作品を繰り返し見たり、版を集めたりするファン文化を広げた。1980~90年代にはsplatstickによって身体破壊と笑いが結びつき、2000年代には『Saw』『Hostel』をめぐって、損傷だけでなく拘束や長く続く苦痛も批評の対象になった。
スプラッター映画の歴史には、身体をどこまで見せるかという演出だけでなく、特殊効果の技術、映画の流通、家庭用ビデオ、雑誌、ファン文化の変化も含まれている。
この記事の調査について
本記事では、splatter film、gore、extreme horror、torture pornなどの用語史、1960年代以降のホラー映画史、特殊メイク技術、VHSや専門誌による観客文化の変化について、同時代資料と映画研究を参照した。
George A. Romeroについては、1978年の本人インタビューで“splatter films”という語の使用を確認できる一方、本人がこの言葉を最初に発明した証拠は確認できていない。『Blood Feast』についても、映画史上初めて身体損傷を映した作品とはしていない。1963年以前に身体切断や眼球損傷などの映像例が存在するためである。また、1990年代をスプラッター映画の消滅期とはせず、home videoやカルト映画の流通を含めて扱っている。ゴアとスプラッターも完全な同義語とはしていない。
AFIの『Blood Feast』解説には1963年10月16日付『Variety』への参照があるが、AFIページだけでは“splatter”という語が1963年の『Variety』原文に存在するのか、後年のAFIによる説明なのかを確定できない。本記事では1963年をsplatterという語の初出とはしていない。
主要参考資料
- John McCarty, Splatter Movies: Breaking the Last Taboo, FantaCo Enterprises, 1981.
- George A. Romero interview, Rolling Stone, 1978
- American Film Institute — Blood Feast
- Philip Brophy, “Horrality: The Textuality of the Contemporary Horror Film”, 1983.
- Kevin Heffernan, Ghouls, Gimmicks, and Gold: Horror Films and the American Movie Business, 1953–1968, Duke University Press, 2004.
- James Kendrick, Hollywood Bloodshed: Violence in 1980s American Cinema, Southern Illinois University Press, 2009.
- Tom Savini interview, The Independent, 2020
- Michael Arnzen, “Who’s Laughing Now? The Postmodern Splatter Film”, 1994.
- Matt Hills, The Pleasures of Horror, 2005.
- Joan Hawkins, Cutting Edge: Art-Horror and the Horrific Avant-Garde, 2000.
- David Church, Grindhouse Nostalgia: Memory, Home Video and Exploitation Film Fandom, 2015.
- Kate Egan, Trash or Treasure? Censorship and the Changing Meanings of the Video Nasties, 2007.
- David Edelstein, “Now Playing at Your Local Multiplex: Torture Porn”, 2006.